篠田博之(しのだ・ひろゆき) 月刊『創』編集長
1951年生まれ。1982年に創出版を設立。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。専門はメディア批評。著書に『皇室タブー』(創出版)、『ドキュメント死刑囚』(ちくま文庫)、『和歌山カレー事件 獄中からの手紙』(共著、創出版)、『生涯編集者』(創出版)など。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
ネット配信の“独立”、紙とデジタルの収益バランス
『週刊文春』が8月26日発売号を最後に車内吊り広告をやめるという話題は、ニュースになり、業界内では話題になった。でも、ふと考えてみれば多くの人が、もうしばらく前から車内吊り広告をあまり見なくなっているのではないだろうか。
実際に車内吊り広告がなくなっても多くの人はそれに気づかないかもしれない。大半の人が電車内ではスマホを見るために下を向いているので、車内を見上げて吊り広告を見るという習慣自体がなくなっているのだ。
『週刊文春』の加藤晃彦編集長は、朝日新聞デジタルの記事で「中づりは雑誌の象徴というべき『ブランド広告』でもあり、一つの文化だった」とコメントしていた。でも多くの人の感想は、ああそういえばそうだったな、というものかもしれない。
かつて一時期、車内吊り広告が週刊誌文化の一翼を担っていたのは確かだ。どの週刊誌がどんな記事を掲げているのか、車内吊りを眺めるのが電車通勤時の楽しみでもあった。それは同時に、駅のホームにあったキオスクの売店で新聞や週刊誌を買うという文化とも結びついていた。
裸や風俗情報満載の夕刊紙やスポーツ紙も、電車内でサラリーマンが娯楽として読み、家庭に持ち帰らないという風習があった。通勤時間の約1時間で読み終えるように作られているという写真週刊誌のスタイルも、その読まれ方と結びついていた。
それだけではない。週刊誌は、車内吊りや新聞広告で見出しを拡散させることで、発行部数の10倍20倍の影響力を行使している、とよく言われてきた。
例えば眞子さま結婚騒動で、週刊誌が毎週のように小室圭さん母子のバッシングを続けているせいで、小室さん母子はお金と地位が目的で皇族と結婚しようとしているという、何の確証もない印象が多くの市民にある程度、定着してしまっている。実際に多くの市民がその週刊誌記事を読んでいるわけではないのだが、車内吊りや新聞広告で週刊誌の見出しを眺めているうちに、無自覚に影響を受けている。
とりわけ派手な色と見出しが躍る車内吊り広告が、これまで週刊誌文化に大きな役割を果たしてきたことは間違いないだろう。
しかし、冒頭に書いたように、この何年か、考えてみれば電車に乗って車内吊りを眺めるという習慣自体が失われつつある。車内吊りで広告を見て、駅売店で週刊誌を買い求めるという文化そのものがなくなりつつあるのだ。
実は『週刊現代』や『週刊ポスト』は以前からほとんど車内吊り広告をやめていたし、『週刊文春』の後を追うように『週刊新潮』もまもなく車内吊りをやめるという。週刊誌の車内吊り広告が全く姿を消してしまうというのは、週刊誌の歴史の中で大きな出来事だと言えるかもしれない。
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