丹治吉順(たんじよしのぶ) 朝日新聞記者
1987年入社。東京・西部本社学芸部、アエラ編集部、ASAHIパソコン編集部、be編集部などを経て、現在、オピニオン編集部・論座編集部。機能不全家庭(児童虐待)、ITを主に取材。「文化・暮らし・若者」と「技術」の関係に関心を持つ。現在追跡中の主な技術ジャンルは、AI、VR/AR、5Gなど。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
はちゃめちゃな遊びの始まりの日々
「音源ソフトを初めて使ってみました」という投稿者の「右から来たものを左へ受け流すの歌」も投稿された(9月9日)。ムーディ勝山さんが歌う曲のカバーだが、「初めて使った」というだけあってとんでもなく音痴だ。それでも累計4万再生を超えているのだから侮れない。
初音ミクが歌い出した途端に、「絶望音感www」「これはひどいwww」「ひでぇwww」というコメントだらけになる。あまりの調子っ外れぶりに、逆に愛されたようだ。
同じように絶望的な音階の歌、無謀というか、オリジナル曲のようだ(9月18日投稿)。これまた累計5万7000再生超と、わけがわからない。「頑張った!君は頑張った!」という視聴者コメントが印象的だ。
「ブームに乗ってしまうと痛い目を見るという良い例」と投稿者が書き込んでいる通り、すでにこの時期には初音ミクはブームを巻き起こしていた(連載第1〜3回参照)。
9月17日の投稿「初音ミクが あ~あ~あああああ~」は、さだまさしさんが作曲し歌唱したドラマ「北の国から」の主題歌のカバー。歌詞はなく、ハミングだけの曲だ。聴いてみるとわかる通り、息継ぎらしき箇所が大変少ないか非常に短い。息継ぎを必要としない機械音声の特徴が注目された。この方向性は後に、cosMo@暴走Pさんによる「初音ミクの消失」「初音ミクの激唱」などで徹底的に追求される。
「後につながる」といえば、こちらもその例かもしれない。「初音ミク3パートで般若心経木魚付き」(9月6日投稿)。
初音ミクの創作連鎖の起点になった代表例の一つに挙げられる「般若心経ポップ」が2010年に登場したが、実は「般若心経」は9月6日という早い段階で投稿されていた。
さらに、同じ投稿者・心経Pさんは、「Ievan Polkka」で登場した初音ミク亜種の「はちゅねミク」に木魚を叩かせる動画を添えた「はちゅねミクで般若心経(ネギ木魚)」も9月19日に投稿。ナンセンスの極みだが、この投稿に限らず、はちゅねミクを用いた動画はこの時期すさまじい勢いで増えており、それは次回以降に触れることにする。
次は、有名な前衛作品が爆笑もののエンタメに化けてしまったもの。当時、筆者は画面の前でどれだけ笑い転げたか知れない。
「4分33秒」は、20世紀の実験音楽を代表する作曲家ジョン・ケージが1952年に発表した問題作。演奏会の舞台に登場した奏者は4分33秒の間、目の前に楽器(多くの場合、ピアノ)があるにもかかわらず、それを弾かない。会場で聞こえるのは、聴衆が立てる雑音や、ホール外の音など、偶然発生する音になる。「音楽とは何か、音とは何か」を問いかける前衛音楽家らしい狙いだ。
だが、無数の聴衆が、音響的には沈黙を守りながら好き勝手におしゃべりできる状況など、さすがのジョン・ケージも予想しなかっただろう。ケージは1992年に亡くなったが、もし生きていたとしたら、この「初音の4分33秒」をどう視聴したのか、感想を聞いてみたかった。