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眞子さま・小室圭さんの出した結論は、私たちの3つの価値観に見事応えた

結婚問題でモヤモヤした気持ちに映し出されたもの

野菜さらだ コラムニスト/言語聴覚士

 「今日から9月、やっぱり涼しくなるもんだ」。そんな風に感じながらいつものように歩いていた緑の小道の散歩中に、左耳のイヤホンから「そのニュース」は飛び込んできた(3分辺りから)。

 「秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまが婚約が内定している小室圭さんと年内にも結婚される方向で調整が進められていることがわかりました」(ラジオ)

 ここで「え!? 結婚!? しかも年内!!!」と心の中で叫んだ人は多いだろう。

 しかも、このニュースは時報の後のトップニュースで流れた政権関係の次、つまりトップ2の扱いだ。政治ニュースのときは「ぼんやり」聞いていた耳がいきなり「ダンボ」状態になって脳が目を覚ます。

 「婚約や結婚に伴う儀式は行われない見通しです」(ラジオ)

 「えええ!!! 儀式なし!」(心の声)

 「関係者によりますと、眞子さまと小室さんは、小室さんがアメリカ・ニューヨーク州の法律事務所への就職の見通しが立ったことから、年内にも婚姻届を提出して結婚される方向で調整が進められているということです」(ラジオ)

 「小室さんの就職が決め手か……」(心の声)

 「眞子さまは結婚によって皇室を離れた後、アメリカに渡って小室さんと新たな生活を始められる見通しです」(ラジオ)

 「えええ!! アメリカに行かれてしまうの???」(心の声)

 ここで、ロサンゼルスに移住した英国王室のヘンリー王子とメーガン妃のことを思い出した人も多いのではないだろうか。

婚約が内定し、記者会見に臨む秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さん。紆余曲折を経て、ついに結婚するという=2017年9月3日、東京・元赤坂の赤坂東邸、代表撮影 2017年9月3日、婚約内定の記者会見に臨んだ眞子さまと小室圭さん。それから紆余曲折を経て、ついに結婚へ=東京・元赤坂の赤坂東邸、代表撮影

 ニュースではその後、女性皇族の婚約や結婚に伴う宮廷での儀式は一切行われないという内容が再度伝えられ、

 「皇室を離れる際に支給される一時金についても、眞子さまは受け取らないという意向を示されているということです」(ラジオ)

 時間にしてわずか1分余の短いニュースの中に、これまで散々メディアやインターネット上で溢れかえっていた様々な疑問や要望(?)に応えた形で、眞子さまと小室さんは結婚に向かって前進されたのだと瞬時に思った。

 改めて見ると、「論座」においても眞子さまと小室さんのご結婚をめぐる論考は、コメント数が群を抜いている。

2021年4月14日(「「小室圭文書」を読破してわかった母子の野心のありかと嫌われる理由」) 789件(執筆時点)
2020年12月14日 (「小室圭さん説明責任包囲網と、秋篠宮さまの「駆け落ちのすすめ」」)351件(同)

 それだけ国民の興味関心を引き付けてやまないということが、このコメント数にも如実に表れている。私自身は皇室関係に特に詳しいわけではなく、ごくごく一般的な感じでこれまで一連のニュース・報道(ワイドショー)を見てきたが、お二人の結婚にまつわるお話はなぜ、こんなに私たち国民の関心を引くのだろう??? 改めて、これまでに書き込まれたコメントの数々も読み返しながら(実は一度、コメントにはどういうワードが多いかを調べてみようとしたことがあったのだが……)考えてみることにした。

祝福ムードから反転した小室さんのお母さんの借金問題

 思い返してみれば、2017年5月、最初に小室さんが私たちの目の前に登場したときには、素直に「おめでとう!」というムードだったと思う。今もまた繰り返し流されている、婚約発表のときの記者会見の動画を見ると、当時は否定的な反応はそんなになかったように感じている。

 それが、小室さんのお母さんと元婚約者との「金銭トラブル」報道によって「そんなんでいいのかー」という声が一斉にあがり、それまでのお祝いムードが一転してしまった。それ以降の大方の流れは皆知るところであろう。

 その後もことある事に「そんなんでいいのかー」という声があがった。そこには私たちの中にある、そこはかとない価値観が見え隠れしているのではないだろうか。もし、眞子さまが皇族でなかったら、この問題はこんなに大きくなっただろうか? そういう前提条件を少しずらしてみるといろいろ見えてくることがある。

1)お家が大事という価値観

 たぶん、いま多くの人は、「結婚は個人の自由だよね」「家と家とか、お家柄なんて古いよね」という感覚を持っているように感じる。

 かつて日本で結婚と言えば、家と家のつながりを重んじるものであった。ごく平均的な家であっても、結婚とは個人と個人が自分勝手に行うものではなく、家と家のつながりが重視された。お式の持ち方にもそれが表れている。例えば、昭和の結婚式を再現したという東京・小平市のふるさと村の結婚式の様子を見れば、それは一目瞭然である。

 一番上座には、「両家を代表するそれぞれの仲人夫妻」計4名が座り、そこから右側に花嫁側の来賓・花嫁・親族、左側に花婿側の来賓・花婿・親族と並ぶのである。お気づきの通り、花嫁と花婿は並んではいない。両家が向かい合って座り「よろしくお願い致します」というスタイルである。

 もちろん、今どきの普通の結婚式ではここまで厳格に家と家が向き合って……というのはほとんどないだろうが、それでも多くの結婚式場では式場の案内板は「〇〇家〇〇家」と両家が並んで記されているのをごく普通に見かける。

Obs70shutterstockObs70/Shutterstock.com

 ところが、いざ、皇室のお嬢様のご結婚となって、この「家と家」という、私たちのどこかに眠っていた価値観が呼び起こされてしまったのではないだろうか。「皇室」にふさわしい、ふさわしくないというコメントが多いことからもこれは見てとれる。「平等」と言いながらもどこかで「この家に相応しいお方」と「そうでない人」というジャッジ(判別)をしている、その自分の価値判断とは一体どういうものだろう?

2)人のお金で生活していいのかという価値観

 これはたまたまそうだった……と言えばそうなのだが、問題の発端が小室さんのお母さんの借金問題であったということが、またまた皆の神経を逆撫でしてしまったように見える。「借りた金をきちんと返していないじゃないか」とか「多額の一時金をもらって、それで何とかしようとしているのか」といった「結婚によって眞子さまに支払われる1億3000万円超」をめぐるコメントも多かった。

 この金額の多さは

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