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初音ミク、解放区への道筋〜奇跡の3カ月(13)

ネット文化と知的財産権、その相剋の時代

丹治吉順 朝日新聞記者

初音ミク、混沌の中で〜奇跡の3カ月(12)から続く

【読者のみなさまへ】今回は筆者が十分な知識を持っていないジャンルについても扱います。お読みいただければわかる通り、「ニコマス」「アイマス」にかかわるものです。筆者としては必要なチェックをしているつもりではありますが、内容に誤りや勘違いなどがある可能性を否定できません。

また、記事中で触れている「解放区」のあり方としては、「東方Project」も近いものがあるように思います。とはいえ、「東方」に関してはほとんどチェックしていなかったため、断定的な物言いが全くできません。

そのような場合を含めまして、この記事全体の内容に関しましても、お気づきの点がありましたら、コメント欄に指摘をしていただけるとありがたく存じます。

「フタエノキワミ、アーッ」とは?

初音ミク混沌の時代の初期、2007年9月12日に、「初音ミクでフタエノキワミ、アッー!」という動画が投稿された。動画といっても、例によって映像はパッケージ画像を貼り付けた静止画で、初音ミクがひたすら「フタエ、フタエノキワミ、アーッ!」と意味不明な言葉を歌って(叫んで?)いるだけだ。

予備知識のない人には、何のことか全くわからない。ましてそれが4万再生以上されている理由なども。

アニメ「るろうに剣心」の英語版で、「フタエノキワミ、アーッ」というセリフがあったことから、その場面とセリフがネットで「バカ受け」的な状態になり、流行と化した。それを初音ミクに歌わせたのがこの動画で、元ネタがわからないと理解不能なものの一つだ。当時は、こんな遊びが至るところで起きていた。

初音ミクでフタエノキワミ、アッー!

この初音ミクの「フタエノキワミ」は残っているが、参照元とされている動画は削除されている。URLをたどると、次のような画面が表示される。

権利者削除された動画の跡地権利者削除された動画の跡地

おそらくアニメのその場面をコピーしてアップロードしたのだろう。「この動画は株式会社フジテレビジョンの権利を侵害していたため、または申し立てがあったため削除されました」と表示されている。フジテレビはアニメ「るろうに剣心」の放映元だ。

いかに台詞の一部とはいえ、「フタエノキワミ、アーッ」という文字列・音声にまで著作物性を認めるのは難しいので、この初音ミク版は残る結果になったのだと思う。

この「るろうに剣心」はアニメの例で、このほかにも、商業動画をそのまま複製・加工したものがしばしば投稿され、しばしば削除された。同様のことはYouTubeでも問題化しており、そうしたトラブルの解決には相当な時間がかかった。

ちなみにこのようなパロディ化を「るろうに剣心」原作漫画の著者・和月伸宏さんは楽しんでいたらしく、ニコニコ動画に上がっていた「フタエノキワミ、7カ国語版比較」といった動画に関して「当時は大笑いでしたよね」と答えている。この時期の初音ミクの動画は、このような「大笑い」を取る流れにもたしかに乗っていた。

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「るろうに剣心」は漫画・アニメだったが、音楽でも著作権侵害の状況は似たようなものだった。

現在は解消されている信託楽曲の著作権侵害

前回書いたように、この時期の初音ミクやボーカロイドの大規模な試行錯誤の中で、最初に主流になったのはカバー楽曲やパロディだった。だが、そうした投稿は、元作品の著作権などを侵害したものが多くを占める。ただ、現在は状況がかなり異なってきている。

2007年、ニコニコ動画は日本音楽著作権協会(JASRAC)などの権利者団体と契約していなかった。翌2008年4月にニコニコ動画運営側とJASRACの間で包括契約が成立し、それ以降は、ユーザーが音源を自主制作したJASRAC信託作品の投稿は合法になった(現在では、もう一つの音楽著作権管理団体NexToneとも包括契約している)。この記事でカバー曲を主に紹介しているのはそれが理由だ。

著作権が存続している楽曲でも、投稿者本人がJASRACなどと交渉して許諾を得る手段はあった。とはいえ、個人の交渉でニコニコ動画のような商用サイトに投稿することはほぼ不可能だったろう。

たとえば、荒井由実さんファンのITコンサルタントで弁理士の栗原潔さんはこの時期、荒井作品のカバー音源を初音ミクで制作していたが、ニコニコ動画には投稿せず、JASRACと個人契約して自身のサイトに掲載していた。営利目的でなく、ストリーミング形式なら、個人サイトに月額千円で何曲でも掲載できた。

当時、著作権が存続している楽曲を個人が合法的にインターネット上に公開するには、こうした方法を採る以外の道は(いくつかの特殊な例外を除いて)なかったはずだ。

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JASRACと包括契約したことで信託曲を合法的にニコニコ動画に投稿できるようになったため、栗原さんのこの独自の試みは半年少々で終わった。例えば2009年には次のようなカバーを栗原さんは投稿している。

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このように、信託曲の違法状態が解消される一方で、パロディ作品などは著作権侵害の可能性を現状でも否定できない。このため、初音ミク初期の歴史の特徴の記述としては、この連載は基本的に不完全なものになる。筆者の心情としては苦しいが、さまざまな意味でやむを得ない状況だ。

なお、初音ミクはギターやピアノと同じ楽器なので、著作権の扱いの当事者は投稿プラットフォームと投稿者、そして著作権や著作隣接権の保有者になる。

著作権とインターネット投稿が激しくぶつかり合っていた時代、動画投稿者もまた、自分が他人の著作権を侵害していることを自覚していなかったわけではない。そうした投稿者が、この時期どんな心境だったか、それが先鋭に現れていたジャンルの例を挙げる。

ニコマスPたちの焦燥と切迫感

そのジャンルとは、「ニコマス」のことだ。

ニコニコ動画で、初音ミクに先立つ2007年春ごろからブームを呼んだ。ナムコ(現・バンダイナムコエンターテインメント)の「THE IDOLM@STER(アイドルマスター)」(略称・アイマス)というゲームが母体で、ニコニコ動画で扱うアイマスのコンテンツを略して「ニコマス」と呼ぶ。この「ニコマス」には、オリジナルのアイマスとは大きく異なる特徴がある。

アイマスは「アイドルプロデュースゲーム」に分類される。プレイヤーはアイドルを育てるプロデューサー(略称「P」)となり、ゲーム中に登場するアイドルの卵たちが一人前のアイドルになるようプロデュースしていく。

アイマスの見どころの一つは、育てたアイドルたちが魅力的なショーのステージを披露する場面だ。ニコマスは、このステージ画面を複製・編集して、各ユーザーがオリジナルとは違った新しいステージ動画を生み出すジャンルだ。楽曲も、ゲームの音楽とは違った既存の商業楽曲が使われる場合が多い。

こうした再編集動画を作って投稿する人々が「ニコマスP」と呼ばれた。この「P」が初音ミクやボーカロイド(ボカロ)のジャンルに流用されて「ボカロP」という呼び名が生まれたことはすでに触れている。

初期のニコマスの投稿者(ニコマスP)たちの多くは、自分たちが著作権に触れる行為をしていることをはっきり自覚していたようだ。

「佐倉葉ウェブ文化教室」というサイトには、当時のニコマスPの発言として、次のような言葉が引用されている(出典は、同サイトにリンクが貼られている同人誌と思われる)。

「2007年のニコマスPが共有していたはずだ、と筆者が確信している感覚について述べておきます。 それは、『俺達に明日は無い』という感覚です。 アイマスは別としても、ニコマスというジャンルが、まさか2年も持つだなんて、あの頃に心底で信じていたPは、恐らく居なかったでしょう。 明日、バンナムがジェノサイドを行うかもしれず、JASRACが本気で牙を剥くかもしれず、 ニコニコがトラフイックの負荷や権利者訴訟で潰れるかもしれず、 何よりも、我々自身がニコマスというものに、飽きてしまうのかもしれないという不安は、常に頭にあったと考えられるのです。

このブームはもう明日には去ってしまうかもしれない、だから電車に乗り遅れないように騒いでやろう、 今日この時に一歩踏み出して馬鹿をやろう、自分の一手で僅かなりとも爪痕を残してやろう、 そういった、今この瞬間にこそ参加しようという、『生き急ぎ』の精神があったのではないかと思います」


佐倉葉ウェブ文化教室 アイマスMAD動画の黎明期」から再引用

正当な権利者(バンダイナムコ)に「ジェノサイド」(本来の意味は「大量虐殺」)とはあんまりと思うが、当事者の切迫感はそれくらいのものだったのかもしれない。

「ボカロP」という名称が「アイマスP」または「ニコマスP」からの流用だったことは連載9回で述べたが、この「プロデューサー」という呼び方も、アイマス開発陣が意識的に導入した言葉のようだ。この「P」に代表されるように、アイマスはネットでのいくつかの用語や概念の大元になったとみられる。アイマス(ニコマス)もまたさまざまな意味で、初音ミクやボーカロイド文化の源流の一つとして挙げられるかもしれない。

アイマス制作サイドの積極的黙認

ニコマスやニコマスP(そしておそらくはニコニコ動画自体)にとって幸運だったのは、アイマス制作サイドが本家のゲーム「THE IDOLM@STER」へのニコマスへの貢献を認めていた点と思われる。

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