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恋路を邪魔するものは何か

 私の基本的な考え方は、「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ」である。誰かが誰かを好きになって、有頂天になったり落胆したりするのは自由にさせればいい。介入したりケチをつけたりするのは野暮というものだ──そんなふうに考えてきた。

 件の詩歌は江戸時代の都々逸(作者不明)であるらしい。近世庶民の自由な恋愛観を伝えつつ、その実、色恋にはいろいろな障害があることを言外に表している。

 「邪魔」の一部は社会規範からくるもので、その典型は近松門左衛門の世話浄瑠璃に見える「道ならぬ恋」。ここには「身分違いの恋」も含まれていた。近代になって自由恋愛思想が移入されるとこのタイプの「成さぬ恋」は急にメジャーテーマへ押し上げられた。

 人々は階級的差別に引き裂かれる主人公たちに強く共感した。「新派」で大当たりを取り、大正・昭和から戦後まで、日本人は、「身分違いの恋」を応援してきたのである。むろんその中には、高貴な女性とそうでない男性の恋も含まれていた。

婚約が内定し、記者会見をする眞子さまと小室圭さん=2017年9月3日、東京・元赤坂の赤坂東邸、代表撮影 拡大婚約が内定し、記者会見をする眞子さまと小室圭さん=2017年9月3日、東京・元赤坂の赤坂東邸、代表撮影

 9月初頭、内親王眞子さまと小室圭氏の結婚が年内に行われるという報道がなされた。

 意外なのは、1億円を超える「一時金」を辞退し皇籍を離れる眞子さまと、ようやくアメリカで職に就きそうな小室氏に対して厳しい声が消えないことである。

 たとえば、ニューヨークでの身辺警護コストを難じる声、小室氏の今後の言行が皇室の権威を棄損する可能性を論じる声、さらには眞子さまが小室氏の母親の信仰する宗派の広告塔になりはしないかとかいう疑心暗鬼まである。

 こうした声の背景にあるのは、小室氏とその母親への警戒心である。実際のところ、「小室疑惑」の発端となった金銭トラブル問題は宙に浮いたままのように見える。

 私は事実関係を究明する情報を持ち合わせないが、もうすぐ10年越しになろうかという長い「恋路」に反発し続ける人々の気持ち(とそれを煽ったメディアの姿勢)が気にかかる。なぜ二人は、「身分違いの恋」に寛容な日本人の心性を引き出せなかったのか。平成の姫君と「王子」の10年を振り返る。


筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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