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池袋の「暴走事件」を、運転する高齢者の注意義務にとどめてはならない

自動車システムについての本質的な議論を

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

 2019年4月に起きた「池袋事件」について東京地裁判決が出された。同事件では、乗用車を運転していた高齢者(事件当時87歳)が、信号前でブレーキと間違ってアクセルを踏み続けたために、横断歩道を横断中の母子2人を死亡させ、9人に重軽傷を負わせるという、凄惨きわまる事態となった。

東京・池袋で起きた高齢者による暴走事故の現場=2019年4月19日、東京都豊島区東池袋東京・池袋で起きた高齢者による暴走事故の現場=2019年4月19日、東京都豊島区東池袋

問題を高齢者の運転にしぼってはならない

 まず記せば、私は同事件が高齢者問題と見なされている点を残念に思う。例えば朝日新聞では、「人身事故」および「踏み間違い」事故の件数を、75歳未満と75歳以上の運転の場合に分けて報じている(2021年9月3日付)。

 もちろん高齢者の知覚・認知・身体反応等の能力が青壮年層より低下している事実を論ずることは、重要であろう。だが、これに関連する論議にとどまれば、自動車システムの本質的な問題性(後述)は隠され、今まで何十年にもわたって続いてきた、日常空間が危険のちまたと化すという、近代社会にあるまじき異常な現実については、何ら問い直されないままになるだろう。

 高齢者のほうが事故を起こしやすいのもおそらく事実であろうが、だからといって非高齢者の事故が軽視されてよいはずがない。朝日記事によれば、75歳以上の運転による人身事故は15万件弱だが、一方、75歳未満の運転によるそれは174.6万件に達する(朝日、同前)。高齢者のそれに関心を集中させれば、15万件をなくすために、実質的に174.6万件を放置する結果になりかねない。

運転者の注意義務──これに依拠する危険

 池袋事件を含め、高齢者が引き起こす「交通事故」が、自動車システムの問題性を、いわば拡大鏡を通したかのように見せた点は重要である。この事件について東京地裁は、運転者に「求められる最も基本的な注意義務」をおこたったと指摘したが(朝日、同前、強調杉田)、これが問題の核心である。

 自動車はレールを持たない非常に不安定な乗り物であり、安全は基本的に運転者の注意力に委ねられる。だから運転者に最大限の注意義務が課せられる。

 なのにその操作法を、専門的に学び身につけたプロフェッショナル(専門家)は、育てられていない。他の専門職の例を見ても、自動車という不安定な機械を安全に操作する専門家を育てるには、少なくとも2、3年の期間が必要だろう。

 にもかかわらず、今日車を運転しているのは、「専門職」とはほど遠いただの「素人」である。職業上の運転者でさえ大差はない。私からすれば、現状は素人が医者や弁護士の仕事をしているようなものである。

 だから運転者の注意力の網はしばしば破られ、その結果、運転操作を誤るのはほぼ必然である。運転者の注意がおろそかになれば(わき見運転、前方不注意、スマホを見ながら・電話をかけながらの運転等)、あるいは注意がなされたとしても運転者が判断・動作を間違えば(池袋事件ではアクセルとブレーキの踏み間違え)、いやそもそも注意義務を無視するような行動がとられれば(本年6月の「八街事件」では飲酒)、自動車の安定性はたやすく損なわれる。

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「フェイルセーフ」の欠如

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