web会議の普及が、オンライン法要への違和感を拡大させた
[10]全国生活者意識調査「コロナ禍と仏事」から見えてきた仏教の未来(上)
薄井秀夫 (株)寺院デザイン代表取締役
経験者がオンラインの物足りなさを再認識した

flyingv3/Shutterstock.com
コロナ禍が続く1年半の間、我々はオンラインの会話システムの普及で、様々な局面で助けられたと実感している。直接会わなくても画面越しでの会議が可能になったし、資料や映像の共有も簡単である。しかも思いのほか手軽に利用できる。場合によっては、リアルの会議よりも効率的に進むことすらある。
多くの人が、オンラインでの会話や会議を経験し、当たり前のように仕事や生活で利用するようになった。
その一方で、オンラインに寂しさを感じる人も増えている。
会議はスムースに進むが、お互いの考えを理解し合うことより、結論を出すことが優先されがちになってしまう。必要な情報は伝わるが、本題以外の話題は出しにくくなっていて、息苦しさを感じる人もいる。
例えばオンラインの会議で、リアルの会議でありがちな一見無駄に見える議論が無くなって良かったと考える一方、そうした議論がコミュニケーションを深めたり、新しい発想を生んだりしてきたことを再認識するようになってきたのだ。
1年前の調査で、慎重派だった人は、まだオンライン法要に対しては半信半疑で、疑問を感じながらも、こんな状況ではオンラインでやるしかないと考えていた人達である。今年そうした慎重派が減り、反対派が増えたのは、オンラインの便利さを理解する一方で、限界も感じるようになったからではないだろうか。
また〈やる必要は無い〉と考えていた消極派が減り、より強く拒絶反応を示す反対派が増えたのも、やはり様々な場面でオンラインを経験した影響である可能性が高い。
去年は、経験が無いから半信半疑だったけれど、今年はいろいろ経験して、やっぱり儀式のオンライン化は受け入れられないと感じるようになってきたのだ。
彼岸法要やお盆法要のオンライン配信は不調
ただしこの調査は、あくまでも生活者の意識に関するものである。現場では実際、どのような状況になっているのだろうか。
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