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麻生太郎「コロナは曲がりなりにも収束」発言に思う「死」を眼差す視点の薄さ

『<反延命>主義の時代』で知る<いのち>の選別の歴史

今野哲男 編集者・ライター

漠たる不安は意識下に抑圧される

 麻生氏は、「新規感染者数」という一つの指標だけに頼って、「自宅療養者数」や「重症者数」、ひいては「死者数」といった、「命」と「死」に関わる他の指標を配慮せず、連日何十人という死者が出ている現実には目もくれず、コロナ禍全体を「曲がりなりに」も判断するという民主国家の為政者にあるまじき愚を犯した。

 そして、それに肌感覚で「許せない」と応じるわれわれ自身にも、一方では①「ブレークスルー感染」や②若年層の感染拡大、③δ(デルタ)に加えてμ(ミュー)、η(イータ)その他の変異株の登場、さらには④感染した者が「自宅療養」(正しくは「自宅放置」)という名の「医療崩壊」に晒され、ときには病院にも入れずに「死」に至るという現実を前にしても、それらに対する不安を、自分はまだ大丈夫という根拠のない「正常性バイアス」によって自ら押し殺してしまう一面があることは否めない。SNSなどで気の利いた愚痴をこぼしてみせるだけでは、「死」さえも薄く見積もる「為政者」は、ただのガス抜きと見做すくらいがせいぜいなのだ。

自宅療養中の患者宅を訪ね、声をかける看護師(写真の背景にぼかしを入れています)=訪問看護リハビリステーション・ハピネス提供拡大自宅療養中の患者宅を訪ね、声をかける看護師(写真の背景にぼかしを入れています)=訪問看護リハビリステーション・ハピネス提供

「死」と「生」とは、<いのち>の「裏表」である

 『人間の条件』を書いたフランスの作家で、第二次大戦後のド・ゴール政権で長く文化相を務めたアンドレ・マルローに、「死などない。ただ俺だけが死んでいく」(『王道』)という言葉がある。

 これを、「俺の死を統計的な抽象として処理するな」という人間一個の実存を語った逆説的な言葉と見做すことも可能だ。だとすれば、われわれは、「俺だけの死」を歯牙にもかけない為政者の傲慢に、不審や不満を超えた存在論的な不安を感じているのではないか。私見では、これがことの本質なのだ。

 ならばわれわれは、今こそマルローが言った<いのち>に立ち戻り、手を携えて、これと向き合う必要があるのではないか。

アンドレ・マルロー拡大アンドレ・マルロー

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筆者

今野哲男

今野哲男(こんの・てつお) 編集者・ライター

1953年生まれ。月刊『翻訳の世界』編集長を経てフリーに。「光文社古典新訳文庫」に創刊以来かかわり、また演劇体験をいかして『セレクション 竹内敏晴の「からだと思想」』全4巻(藤原書店)などを編集。著書に『竹内敏晴』(言視舎評伝選)、共著に森達也との『希望の国の少数異見』(言視舎)、インタビュアーとしての仕事に、鷲田清一『教養としての「死」を考える』、吉本隆明『生涯現役』(以上、洋泉社)、木村敏『臨床哲学の知』(言視舎)、竹内敏晴『レッスンする人』(藤原書店)、『生きることのレッスン』(トランスビュー)など。現・上智大学非常勤講師。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです