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【公演評】ミュージカル『ジャック・ザ・リッパー』

全てが愛によってはじまる、「愛の物語」

橘涼香 演劇ライター


 19世紀末、英国ロンドンで起こった猟奇連続殺人事件と、その犯人像としていまも世界に名を残す、通称「切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)」をモチーフにしたミュージカル『ジャック・ザ・リッパー』の日本初演が、東京・日生劇場で上演中だ。(29日まで。のち、10月8日~10日大阪・フェニーチェ堺 大ホールで上演)。

 ミュージカル『ジャック・ザ・リッパー』は、チェコ共和国で創作された作品を原作に、2009年韓国独自のアレンジを施して上演された作品。日本でも翻訳上演されているミュージカル『フランケンシュタイン』を手掛けたワン・ヨンボムによる脚本・演出が原典のチェコ版を大きく改訂。新曲も多数加えた韓国オリジナル版とも呼びたい作品は空前の大ヒットとなり、以後十年間再演が繰り返されている韓国ミュージカルの代表作の一角に成長してきた。

 そんな作品の日本初演となる今回の上演は、常に時代と向き合った多様な作品を手掛けてきた白井晃による新演出版で、「つながりを求めずにはいられない人間の本質」に鋭く迫り、尚「愛の物語」として作品を提示した白井カラーが全編に貫かれている。恋ゆえに闇に落ちていく純真なエリート外科医・ダニエル役に木村達成と小野賢章のWキャスト。事件を追う刑事アンダーソンと、連続殺人鬼「切り裂きジャック」役を回替わりで演じる加藤和樹。加藤とWキャストで刑事アンダーソンを演じる松下優也。同じくWキャストでジャックに扮するCHEMISTRYの堂珍嘉邦。物語の全てが彼女によって進んでいくヒロインの娼婦グロリアにMay’n。アンダーソンとかつて想いを寄せ合った娼婦ポリーにエリアンナ。そして、スクープを狙い続ける新聞記者モンローに田代万里生と魅力的な俳優陣が集結。ダークさの中にも繊細で奥行深い表現が多く含まれた舞台となっている。(以下、ネタバレあります)

「切り裂きジャック」事件が持つ現代に通じるリアル

『ジャック・ザ・リッパー』公演から、加藤和樹(上・ジャック)、小野賢章(下・ダニエル)=田中亜紀 撮影拡大『ジャック・ザ・リッパー』公演から、加藤和樹(上・ジャック)、小野賢章(下・ダニエル)=田中亜紀 撮影

 事件から既に130年が経っているこの未解決の殺人事件は、小説、映画、舞台、アニメーション、ゲーム等々様々の分野で、夥しい数の作品のモチーフとしていまも取り上げられ続けている。コナン・ドイルが生み出し、ちょうど同時代に活躍した名探偵「シャーロック・ホームズ」では、コナン・ドイル本人は現実の事件と、自作の世界的名探偵を対決させることを避けているのだが、のちに生まれたパスティーシュものの作品群で、「ホームズVS切り裂きジャック」の物語が膨大に生み出されていることから、コナン・ドイルも両者が争う小説を書いていると誤解される傾向まであるほどだ。日本でも上演されヒットした韓国ミュージカル『シャーロック・ホームズ2~ブラッディ・ゲーム』も、このホームズ対切り裂きジャックが題材になっていたし、2021年9月日生劇場に隣接する東京宝塚劇場で上演中の宝塚宙組公演『シャーロック・ホームズ-The Game Is Afoot!-』でも、この対決がひと捻りのなかで用いられている。何故多くのクリエイターたち、引いてはそれを鑑賞する人々は、この事件と犯人像にかくも惹きつけられるのだろうか。

 ひとつにはもちろん、このあまりにも猟奇的な連続殺人事件の犯人が今尚特定されていないことがあるだろう。真相は歴史の彼方、大英帝国華やかなりし頃のロンドンの霧の彼方に霞んでいて、だからこそどこに着地点を見出しても、どれだけ想像の翼を広げても、全ては「そうだったのかもしれない」という大いなる仮説のひとつとして成立することができる。これが創作者の目から見ればなんとも魅力的な世界であることは想像に難くない。

 その上でもうひとつ、様々な尾ひれがつきセンセーショナルに報道され続けたことで、犯人の虚像が果てしもなく増幅していったこの殺人事件が辿った道程が、現代の目から見てもあまりにもリアルなことがあげられる。まず、マスコミが命名した「切り裂きジャック」という通称が大変皮肉なことになんともキャッチーだった上に、狙われていたのが下層階級の娼婦だけという事実が、この傾向に拍車をかけた要因ではないか。階級制度の厳しいイギリスで、もし犠牲者が貴族令嬢であったとしたら、報道の仕方も警察の捜査そのものも、現在伝えられている経緯とは全く違ったものになっていただろう。自分とは無関係なところで起きている猟奇殺人事件を、高貴な人々が恰好のゴシップとして高みの見物をしていた、という図式は非常にグロテスクだが、同時にそこにはヒヤリと背中に冷たいものが走る、現代の報道と社会の図式が重なっている。日々起こる様々な事件に対するこうした視線は、今尚繰り返し続けられていて、130年人類は他者の痛みを見世物にするというある種の愚かさと残酷さから脱却できずにいることが否応なく突きつけられているのだ。

「こういうこともあるかも知れない」と思える人間ドラマ

『ジャック・ザ・リッパー』公演から、木村達成(左・ダニエル)、堂珍嘉邦(右・ジャック)=田中亜紀 撮影拡大『ジャック・ザ・リッパー』公演から、木村達成(左・ダニエル)、堂珍嘉邦(右・ジャック)=田中亜紀 撮影

 そんな中で日本版として初登場したこのミュージカル『ジャック・ザ・リッパー』には、スクープを狙い続けなければ生きていけないという、職業的欲求が狂気の淵にまで達している新聞記者モンローを登場させたことに代表される、他者の不幸を見世物にすることに対する批判がきちんと描きこまれているのに瞠目させられる。他にも「切り裂きジャック」を早速パブのフロアーショーの出し物にしていることを表す「踊る殺人鬼」のナンバーなども盛り込まれていて、鋭い切り込みが感じられた。更に言えばモンローだけでなく、この物語に登場してくる人物たちはほぼ等しく、自分のなかにそれぞれの狂気を抱えていて、それが荒唐無稽なダークファンタジーと言ってしまうこともできる作品の、高みの見物を許さない現実感を伴うのが周到だ。

 それがこの作品を「こういうこともあるかも知れない」と思える人間ドラマとして描こうとしたという白井晃演出の方向性によって、より繊細に浮かび上がっている。冒頭にアンダーソンが登場してくる「いま」から、2日前、1週間前、更に7年前と時空を行き来して広がっていくストーリーが、終幕に向かって衝撃の真実へと収斂されていくかなり複雑な構造が、きちんとわかりやすい。背景となるロンドンのほの暗い街並みもどこかいびつに歪んでいて作品のカラーを明確にしているし、舞台面が所謂「八百屋舞台」(舞台の奥が高く、客席側に向かって低くなる傾斜がついている)になっていることで遠近感が強調され、バックライトを浴びてジャックが登場してくる場面が殊更印象的で、禍々しいものがひたひたと迫ってくるダイナミズムを生んでいく。

 これによって下層階級の人々が貧困の中でただ必死に一日の糧を得ている粉塵に霞むスラム街が、ごく自然に目の前に浮かび上がり、時に出道具の転換も役者たち自らが行うなどのアナログな演劇要素が、人がそこにいる質感を高めていく。これら白井の求める世界観を具現化した美術、照明をはじめとした優れたスタッフワークが見事で、セットに高さもあることや照明効果がしっかりと認知できる2階席からの鑑賞も大きな醍醐味がある。

【STORY】
 1888年ロンドン。

 刑事のアンダーソン(加藤和樹/松下優也)は、娼婦だけを狙う連続殺人事件の犯人を追っていた。犯行は7年前に死んだはずの連続殺人鬼、通称「切り裂きジャック=ジャック・ザ・リッパー」(加藤和樹/堂珍嘉邦)による残忍な手口を強烈に想起させ、ジャックの再来ではないかとの噂が街に広まり続けている。ことが重大なだけに警察はマスコミを排除し非公開で捜査を進めようとするが、ロンドンタイムズ紙の記者モンロー(田代万里生)は、特ダネの独占スクープを狙ってアンダーソンに接触。麻薬中毒に陥っているアンダーソンの弱みにつけこみ、情報提供の取引きを持ちかけ、金が必要なアンダーソンはやむなくその申し出に応じてしまう。

 そんな時殺人事件現場に「僕は犯人を知っている、そいつの名はジャックだ」と告白するアメリカ人医師ダニエル(木村達成/小野賢章)が突然現れる。彼は7年前にロンドンにやってきて、元娼婦のグロリア(May’n)を介しジャックと出会っていたのだ。

 打ち続く犯行に事件が混迷を極めていたなか、ダニエルの供述に基づいてアンダーソンは囮捜査を計画。かつての恋人だった娼婦ポリー(エリアンナ)の協力を取り付けるが、意に反してロンドンタイムズが「ジャック・ザ・リッパー、殺人予告!」の号外を出してしまったことから、ポリーまでもが事件に巻き込まれてしまう……。

7年の時を経て何故ジャックは蘇ったのか。その正体は、そして真の目的は……?

◆公演情報◆
ミュージカル『ジャック・ザ・リッパー』
東京:2021年9月9日(木)~29日(水) 日生劇場
大阪:2021年10月8日(金)~10日(日) フェニーチェ堺 大ホール
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公式Twitter
公式Instagram
[スタッフ]
作曲:Vaso Patejdl
作詞:E duard Krecmar
脚本:Ivan Hejna
演出:白井晃
[出演]
ダニエル:木村達成・小野賢章(Wキャスト)
アンダーソン:加藤和樹・松下優也(Wキャスト)
ジャック:加藤和樹・堂珍嘉邦(Wキャスト)
グロリア: May’n
ポリー:エリアンナ
モンロー:田代万里生
朝隈濯朗 天野勝仁 伊佐旺起 石井雅登 齋藤桐人 常川藍里 水野栄治 りんたろう
碓井菜央 岡本華奈 熊澤沙穂 香月彩里 菅谷真理恵 ダンドイ舞莉花 永石千尋 橋本由希子

松下優也インタビュー(上)

松下優也インタビュー(下)

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筆者

橘涼香

橘涼香(たちばな・すずか) 演劇ライター

埼玉県生まれ。音楽大学ピアノ専攻出身でピアノ講師を務めながら、幼い頃からどっぷりハマっていた演劇愛を書き綴ったレビュー投稿が採用されたのをきっかけに演劇ライターに。途中今はなきパレット文庫の新人賞に引っかかり、小説書きに方向転換するも鬱病を発症して頓挫。長いブランクを経て社会復帰できたのは一重に演劇が、ライブの素晴らしさが力をくれた故。今はそんなライブ全般の楽しさ、素晴らしさを一人でも多くの方にお伝えしたい!との想いで公演レビュー、キャストインタビュー等を執筆している。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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