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田村正和は作家に愛された俳優だった~眠狂四郎、腕下主丞、子連れ狼……

ペリー荻野 時代劇研究家

 今年4月3日、77歳で世を去った俳優・田村正和。唯一無二の美貌と存在感で、時代劇、ミステリー、ラブストーリー、コメディと幅広いジャンルで人気を集めた。訃報が届いて以来、多くの局が追悼の意を表し、代表作を再放送した。9月、10月は、時代劇専門チャンネルと東映チャンネルによる共同企画「特集・田村正和~永遠の美剣士」で代表作「眠狂四郎」などが連日放送される。

田村正和田村正和さん=1985年

 私は遺作となったドラマ「眠狂四郎 The Final」をはじめ、田村正和時代劇に関わった方の取材を続けてきた。そこで感じたのは田村さんが「作家に愛された俳優」であったということだ。

 その作家の代表といえば、柴田錬三郎である。

 田村×柴田の初期作品では1969年、松方弘樹版眠狂四郎と宿敵の薩摩隠密(田村)の対決が見せ場となった映画『眠狂四郎 卍斬り』、1972年に放送された柴田原作のドラマ「岡っ引どぶ」がある。

 どぶ(山崎努)は仕込み十手を片手に悪い奴をなぎ倒す破天荒な岡っ引き。田村さんの役はどぶを助ける盲目の与力・町小路左門だった。目を閉じたまま、暴れん坊のどぶの報告を聞き、事件について静かに助言する。泥臭いどぶとは対照的な気品あふれる町小路のたたずまいに柴田がほれ込み、「最高の眠狂四郎役者になる」と自身の代表作の主演に推薦したのだ。

 転びバテレンのオランダ人宣教師と大目付の娘との間に生まれたという出生の秘密を抱え、虚無の中に生きる孤高の剣士・眠狂四郎。彼は必殺の剣「円月殺法」で醜い世の矛盾と欲望を斬って捨てる。眠狂四郎は1950年代から市川雷蔵はじめ、映画・ドラマで多くの名優が演じてきた。原作者の強い意向を受けて、その72年秋には連続ドラマ化が決定。黒い着流しに赤みを帯びた髪、憂いを帯びたニヒルな田村狂四郎が登場した。

 京都・太秦の東映撮影所で行われた発表記者会見は、今も語り草だ。記者の前に黒羽二重の着流しで姿を現した田村狂四郎は、腰元風美女(東映の『女番長シリーズ』などで活躍した衣麻(えま)遼子)を前に刀を抜き、なんと帯をはらりと斬り捨て、腰巻の裸にしてしまったのである。帯にピアノ線を使ったパフォーマンスだったが、前代未聞のお色気会見と製作担当者の「テレビコードの限界ギリギリまで挑む」という発言は、マスコミをにぎわせた。

自身の原作「眠狂四郎」のテレビドラマに、狂四郎(田村正和)の師匠「高輪の錬翁」役で出演することになり、メーキャップした小説家・柴田錬三郎=1972年11月





自身の原作「眠狂四郎」のドラマに、狂四郎(田村正和)の師匠「高輪の錬翁」役で出演した柴田錬三郎=1972年11月
 なお、この会見には、柴田先生本人も黒い着流しで参加。笑顔で祝いの桝酒を田村から受ける写真が残る。原作者は、当時人気の「木枯し紋次郎」の汗くささに対して、田村の狂四郎を「タキシードを着て殺しをやるオーデコロンのさわやかさがある」と評し、後にスペシャル版で狂四郎の恩師「高輪の先生」役で出演もしている。

父の慈愛を前面に出した新しい「子連れ狼」

田村正和さん(1943―2021年) 時代劇での姿は特に魅力的だった=1975年6月頃
時代劇での田村正和さんの姿は特に魅力的だった=1975年6月頃

 もうひとり、田村正和に自身の代表作を託したのが、小池一夫だ。

 80年代、小池×田村で人気シリーズになったのが、ドラマ「乾いて候」である。主人公・腕下主丞(かいなげもんど・田村)は、将軍家お毒味口役の主丞。その外見は「長身にして、色白、女と見まごうばかりの美形」。実は八代将軍徳川吉宗の隠し子にして、どんな毒にも毒されない超耐性体質なのである。

 田村正和時代劇は、黒い衣装のイメージが強いが、この主丞の普段着は、真っ白い着流しに真っ赤な襦袢という目立ちすぎるいでたち。しかも、登城するのはもっぱら夜で、まず向かうのが、男子禁制の大奥。主丞に言わせると「我の仕事はふたつ、上様が口にするものの毒味、あとひとつは女子の毒味」なのである。よく見ると、主丞が登城の際に身に着けた裃の紋は、居候する料理屋の女将(山口果林)のキスマーク! こんな役をサラリとできる田村正和は、さすがとしか言いようがない。

 作品作りでもっとも大事なのは、キャラクターである。取材の際、常にそう語っていた小池さんは、1993年、自ら企画・製作を担当した映画『子連れ狼 その小さき手に』の主役に田村正和を指名する。

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