2021年09月29日
あちらこちらで、「学校の先生方はオンライン授業がまだうまくできないのは周回遅れではないか」、そう訴えている(「オンライン授業拡大の中で浮き彫りになる「変われない公立学校教育」」「論座」)私が完全に周回遅れになっていたものがある。
あの「鬼滅の刃」だ。
コロナ禍にもかかわらず、昨年(2020年)公開された映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が大人気だという連日の報道。そこまで言われるものならば……と、1年前にテレビ番組のネット配信で第1話だけを見てみたが、最初でくじけた。主人公の一家が鬼に惨殺され、唯一生き残った妹も鬼と化してしまうという物語の前提となる部分だ。
「最初を見ておかないとわからないだろう」とその話は最後まで見たが、それでも正直なところ、どこが面白いのか、さっぱりわからなかった。実は私の弟も全く同じで、第1話で完全に挫折したと言っていた。同じように感じている人は他にもいるらしい。
「何がそんなに人々を惹き付けるのか?」
その理由がわからないまま、月日は流れた。そして、この9月にその映画が地上波で放送されるというのを知り、「それならば」と番組録画予約をした。
放映翌日のツイッターでは、「鬼滅の刃」の登場人物の一人の名前がツイッターのトレンドワード1位となったことに加えて「CM多すぎ」などの言葉もつぶやかれていたことを知った(「デイリー」2021年9月25日)。
放映日の翌日、「どれどれ」と録画した映画を再生し始めて、目に飛び込んできた最初の映像で「なにこれ!」と思った。そして、すぐに「『銀河鉄道999』の車内じゃないか」と驚いた。「この原作者の人は、999の世代なのか?」。そう思って調べるとまだ32歳だという。「銀河鉄道999」は1970年~1990年代にはやりにはやった漫画・アニメだ。1989年生まれの吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)氏がタイムリーに見ていた年齢ではないだろう。
「だったらなぜ?」
その辺りから「これは、全編見てみないと……」という気持ちが芽生えてきたように思う。
そうして見始めた、いや乗り込んだ「無限列車」。「999」と重なる車内のシーンから始まるが、最初から「鬼」がいきなり登場してきて、主人公たちはそれぞれの夢の世界と現実の世界をかなりの頻度で行き来する。それに「鬼、鬼」とは言っているが、桃太郎の鬼ヶ島にいるような「ザ・鬼」ではない。むしろ「妖怪」と言った方がいいくらいの「鬼」たちだ。
そして、話の展開もいわゆる起承転結で展開するというよりは、かなり唐突だ。主人公たちの夢の中で「無意識」の領域が出てくるわ──フロイトか?──、その次には「核」を探せ──細胞の話か?──となるわ、あちらこちらで見聞きしたような様々な理論や話が頭を過(よ)ぎる。こうやって何度も幻想の世界に行くシーンを見ているうちに、
「これは、能の世界ではないのか」
という言葉が心の中に浮上する。
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