【40】東京五輪音頭
2021年10月10日
東京五輪音頭 昭和38(1963)年
作詞・宮田隆、作曲・古賀政男、歌・三波春夫
場所:東京
いまや「東京オリンピック・パラリンピック2020」(以下オリパラ)は、自民党総裁選と間近に迫った総選挙のおかげで、日々に疎くなっている。
このままでは、成否についての事後検証は一切なされずに、歴史の彼方に葬り去られそうだ。そもそも、菅義偉・前政権が延命のためにその開催にこだわらなければ、コロナ禍はあれほどひどいことにはなってはいなかった。その意味では、コロナという「天災」を「人災」にしてしまったのは、現政権のオリパラへの執着のせいである。
いっぽうで、もしオリパラが当初のスケジュールどおり順調に開催されていたら、事後に大いなる失態と共に不都合な真実が明るみになったことは間違いなく、それを突然来襲した世紀の疫病は覆い隠してしまった。なんとも皮肉なことだが、コロナによってもっとも恩恵をうけているのはコロナを“人災化”した張本人のこの国の政権なのである。
これからも、当事者たちは、不都合な「負の遺産(レガシー)」をコロナで覆い隠そうとするだろう。いや、着々とそうしつつある。
その筆頭は、カネのかからない五輪を標榜しつつも、おそらく膨大な赤字になると思われる収支と、これまた膨大になると予想される今後の施設のランニングコストだ。だが、これはだれの目にも明らかな関心事なので、隠しきれずに、いずれは明るみにでる。問題なのは、一見そうとは見えない「負の遺産(レガシー)」である。
なかでも、もっとも等閑視されるだろうと筆者が危惧するのは、テーマソングをめぐって目論まれた“遺産(レガシー)ころがし”――57年前に大ブレイクした「東京五輪音頭」のリメイク――による大いなる誤算と失態である。
赤字の国民への付け回しという「負の遺産(レガシー)」にくらべれば、「歌の遺産転がし」の誤算と失態など大したことはないと思われるかもしれない。だが、私のみるところ、むしろ深刻度においては「赤字問題」よりもはるかに高い。それはオリパラの設計図の根幹に――論をきわめれば、この国の政治経済活動のありようにもかかわるものであり、それゆえ当事者たちは「なんとかこのまま表に出ないでほしい」と願っているはずだからである。
であればこそ、昭和歌謡遺産が通しテーマである本連載で、これを見逃すことは断じてできない。
東京五輪招致が決まった2013年から4年が経ちオリパラ開催を3年後に控えた2017年7月24日、57年前の東京オリンピックのテーマソングである「東京五輪音頭」(作詞・宮田隆、作曲・古賀政男)がリメイクされることが、大会組織委員会から発表された。
東京五輪の前年の1963年に制作リリースされた元歌の曲調を現代風にアレンジ。歌詞の一部を替え、5番を新たに追加。歌はメインヴォーカルに石川さゆり(当時59歳)を起用、サビでシニアの加山雄三(同80歳)と壮年の竹原ピストル(同40歳)が加わる三世代共演。8月4日から動画サイトのYouTubeにアップされ、狙いは「全国の夏祭りで国民に歌い踊ってもらい、大会の機運醸成につなげること」にあった。(「電通報」20177年7月26日)
開催までにまだ3年もあり(コロナのおかげで実際は4年になったが)、しかるべき音楽プロデューサーのもとでオリジナルのテーマソングをつくる余裕は十分にある、それなのに半世紀も前のリメイクですますということは、オリパラの総合プロデューサーである電通が企画料稼ぎで提案した「やっつけ」だろう。どうせ適当にお茶を濁してポシャる――。
このとき私は勝手にこう思いこんで、この件はその後忘れてしまった。おそらく多くの国民もそう感じたのではないか。
この一件が国民的関心事とならなかったのには、他にも理由があった。その後、国立競技場の設計やり直し、エンブレム盗作、森喜朗会長のセクハラ発言による更迭劇、さらには開会式直前の音楽プロデューサーの解任と、マスコミを賑わせるネタが続発。「東京五輪音頭」のリメイクが注目されたのは公表時だけで、「その後の経過」がマスコミでさっぱり報じられなかったからだ。
ところが、実はこの「東京五輪音頭―2020―」は、オリパラにとって、群発する「不祥事」のどれよりも重要な案件であり、だから当事者たちはそれが覆い隠されて喜んでいることに、土壇場になって気づかされたのである。
そのきっかけを与えてくれたのは、オリパラ開催の直前、加山雄三が湘南で行われる聖火リレーの走者を辞退するというニュースである。加山はその理由をこう述べていた。
「今回の東京オリンピックこそ、心から応援し、また自らも盛り上げたい気持ちでいっぱいでした。しかしながら今改めてこの世界の状況を見た時、手放しに開催を喜ぶことが僕は出来ません。勇気を持って辞退いたします」(朝日新聞デジタル2021年6月9日)
私はこの報道で、加山がヴォーカルに起用された「東京五輪音頭のリメイク話」はあれからどうなっているのだろうかと改めて思いおこし、調べてみて驚かされた。
オリパラの「笛吹唄」は当初私が感じた「企画料稼ぎのやっつけ」どころか、国をあげて地べたをはうように仕込まれていたからである。いってみれば、「新東京音頭国民総踊り計画」である。
「東京五輪音頭―2020―」をネットで検索してみると、自治体のホームページの関連箇所がずらりと表示される。
まず主催者である東京都からは、「2020年に向けた大会開催機運の盛り上げのために、CDまたはDVD、法被の貸し出しを行なう」「東京五輪音頭踊り講習会や地域のお祭りなどへ、東京都民踊連盟の指導者を派遣する」との告知。
東京23区や都下の市町村では「講習会の実施」を案内するとともに、「地域のお祭りやイベント等で積極的に活用していただき、東京2020大会に向けて盛り上がっていきましょう!」と市民に呼びかけている。
東京都だけではない。隣県・山梨の山奥の道志村、遠くは札幌市と、協力自治体は優に500を越すと思われる。どうやら、事前合宿参加国のホームタウン招致自治体が中心のようだが、いずこもほぼ同工異曲の案内・呼び掛け文なので、国からの指導が全国へ徹底されていることをうかがわせる。
では、ツールとされる講習用映像とはどんなものなのか、遅ればせながらネットでみてみた。
4年前の制作発表の司会をつとめた古館伊知郎が、渋谷の街を舞台に、1964年の東京五輪から今回のオリパラまでを映像をつかって回顧。そこへ、宇宙服を着た石川さゆりが上空から舞い降り、オリパラを染め抜いた浴衣姿のダンサーをバックに歌いはじめる。やがて竹原ピストルと加山雄三が参加、最後は花火が上がってフィナーレとなる。
プロモーションビデオとしてはまずまずの出来である。講習用映像にはゆったりした振付の「シニア用」、車いすで踊れる「障がい者用」も用意されている。「踊りが早すぎてついていけない」との苦情があったため、途中で追加されたものだという。いずれにせよ、当初私が感じた「手抜き企画」ではないことは、このことからも伺い知れる。
実態を精査するほどに、「手抜き」どころか、どうみてもオリパラの土台をなす一大プロジェクトであることは明らかである。つぎ込まれた「ヒト・モノ・カネ」からいっても、事前イベントでは群をぬいている。それなのに、なぜかあまり国民には知られていない。いや、あえて知らせたくないようにも見える。怪しさが漂っている。
調査を続行してみたところ、実に興味深いことがわかり、もはやほうっておくわけにはいかなくなった。
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