2021年10月06日
劇画家さいとう・たかをが9月24日にすい臓がんのために亡くなった。享年84。
最初に訃報を知ったのは、この原稿の依頼メールだった。にわかには信じることができず、「嘘でしょ」と返信した。
コロナ禍で、去年今年はお会いできていなかったが、この20年ばかりは年に数度、インタビューやパーティでお会いしていたから、まさかという気持ちが強かったのだ。
昨年(2020年)、新型コロナウイルス感染対策のために、52年間休まず連載を続けていた『ゴルゴ13』を休載した時も、お元気な証拠と安心していた。休載明けから『ゴルゴ13』は休まず連載されていたし、この7月には『ゴルゴ13』の単行本201巻が「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定されて、新聞などに喜びのコメントが掲載されていた。また、同月にはゴルゴが信頼を寄せる銃器職人(ガンスミス)デイブを主人公にした連載劇画『銃器職人・デイブ』が初のスピンアウト作品としてスタート(『ビッグコミック8月増刊号』)するなど創作面でもお元気な様子で、あと10年くらいは現役で描き続けてもらえると思っていた。
さいとう・たかをは大阪・今里新地で姉とともに理髪店を営みながら2年をかけて描いた長編『空気男爵』が、1955年末に貸本専門出版社・八興日の丸文庫から刊行されてデビュー。まだ19歳だった。
八興日の丸文庫を中心に大阪の貸本マンガ界で人気を集め、58年には仲間の辰巳ヨシヒロ、松本正彦とともに上京。国分寺のアパートでの共同生活を始めた。59年、さいとう、辰巳、松本に、佐藤まさあき、石川フミヤス、桜井昌一、山森ススム、K・元美津が加わって「劇画工房」を結成。
劇画は、戦後マンガ界をリードした手塚治虫からはじまるストーリーマンガを凌駕する勢いで旋風を巻き起こした。ストーリーマンガが子ども読者を意識して「笑い」を捨てきれなかったのに対し、劇画は「子ども」と「笑い」を捨てることで人間のリアルな内面を描写することに成功し、読者の幅と表現の可能性を大きく広げることに貢献した。
メンバーの方向性の違いから劇画工房はわずか1年で解散するが、さいとうはその後も「劇画家」として60年代から70年代まで続いた「劇画ブーム」の先頭を走り続けた。
60年には、さいとう・プロダクションを設立。プロ集団の分業による劇画制作に乗り出していく。62年、貸本向けの雑誌『ゴリラマガジン』を創刊。劇画家たちに発表の場を提供する一方で、劇画家の親睦団体として「劇画集団」を発足させた。
後年、さいとうは「私は作品に劇画という名前をつけるのではなく、
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