「大店立地法」施行から21年、当事者としての固有の義務
2021年10月07日
古代ギリシャ時代、アリストファネスが書いた喜劇『女の議会』は有名である。戦争に明け暮れる男たちに対し、妻たちがストライキを起こす話である。一方、日本では今でも国会は「男の議会」である。閣議もまた然り。
日常の買い物で苦労する人たち──多くは高齢者、なかでも女性──のことなど、ほとんど政治的な課題と意識されないのは、こうした事実にもよるのであろう。
それだけに、自民党総裁選にからみ、河野太郎氏が都心の移動スーパーを訪れて「買い物難民」層の視察をしたという報道は新鮮に感じられた。
同問題にことよせつつ「デジタル化」推進を目指そうとする様子がかいま見られたが、近年、買い物難民層の困難などほとんど論じられない状況下で、これに焦点をあてた事実は評価できよう。
私はその後の自民党新政権の施政方針、総選挙に向けた与野党の政策提言等を注視しているが、河野氏の問題提起は満足に顧みられていないようである。新政権は河野氏を入閣させず、氏の問題提起は宙に浮いた形である。弱者に寄りそう姿勢を示す野党の中にも、問題提起を真剣に受けとめる様子は見られない。
現状を思えば、これはとうてい理解しがたい事態である。
商店街の衰退は1980~90年代から見られたが、大型店の出店をフリーハンドで認めた「大規模小売店舗立地法」施行(2000年)以降は、その傾向ははるかに強まった。既存の商店(街)は壊滅的な影響を受けたが(杉田『「買い物難民」をなくせ!──消える商店街、孤立する高齢者』中公新書ラクレ、2013年、24頁)、同時にスーパーが(時には大型店さえ)競争に負けて撤退する傾向も見られるようになった。
2010年代から言われていたことだが(『週刊東洋経済』2010/3/13号、特集「百貨店・スーパー大閉鎖時代!」、『週刊ダイヤモンド』2012/6/16号、特集「セブン・イオン二強が大攻勢『最後の流通再編』」)、スーパーの再編はかなりの規模で進行したようである。
例えば私が住む帯広市。この10年間、すでにかなり淘汰が進んだ状況下で、少なくとも都心および都心に近い地域にあった2つのスーパーが閉店した。その周辺には、食料品店は(コンビニ、ドラッグストアを除けば)わずかの大型店しかなくなった。
都心近くにあったスーパーはそれなりの売り場面積をもっていたが、ついに4~5年前に閉店した。それ以前、そこから1.5kmほどの地点に2つの大型店が出店したために(それぞれ閉店したスーパーの北東・南東にあり、売り場面積はその2倍近い)、売り上げが激減したようである。
周辺の人口は少なくないが、おそらくその多くはこの2つの大型店で買い物をしていたのであろう。だから当スーパーの買い物客は、周囲に住む車に乗れない人か、バスを利用する少し離れた地域に住む人(私もそのうちの一人だった。店までの距離は2km。それまで数百mの距離にあった2軒のスーパーと2軒の食品店すべてが廃業したため、ここ以外に使える店はなかった)がほとんどだった、と想像される。彼らにとってこの店は命綱だった。
だが今その店はなく、かつての利用者は上記2つの大型店まで、労苦をおして買い出しに行かなければならない。南の大型店までのバスは1時間に1本である。北の大型店までは1時間に2、3本あるが、時に乗車距離が長い上に、最寄りのバス停まで750m(閉店したスーパーから計って)も歩かなければならない。バス代はいずれの場合も往復400円。そして買い物客は、帰りは大きな荷物を抱えているのである。
これが労苦ではなくて何であろう。
彼らの中には、家族・知人等の手助けが得られる人もいる。そうした人の話を何度か聞いたが、手助けを得られても時々のことで、しかもお礼その他の気づかいを欠かせないという。
だが、手助けが得られる人は幸いである。
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