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小劇場ブームはバブルの「夢」ではなかった

1980年代の「ブーム」を振り返って【下】

横内謙介 劇作家・演出家・劇団扉座主宰

バブルでも貧乏。でも、自信とプライドがあった

 折しもバブル景気が巻き起こりつつあった。世の中に金が余ると言う、空前絶後の狂乱の時代である。

 その金が簡単に我々のような駆け出し世代にまで回って来ることはなかった。

 それでも倍々ゲームで増えてゆく観客数とともに我々若手演劇人の夢と希望も膨らんだ。

拡大劇団善人会議(現・扉座)の『まほうかついのでし』(1986年)の宣伝写真。六角精児演じる孤独な青年の住むアパートが、ノアの箱舟になるストーリーで、ザ・スズナリで上演した。作品をイメージしたこうした写真が雑誌の演劇欄などを飾った。
 「アルバイトニュース」と言う雑誌があった。求人広告を集めた駅売りの雑誌だ。その厚みが当時のたとえで電話帳、今で言えばランチボックスを軽く超えるぐらいあった。正社員にならず、アルバイトで十分に食ってゆけるフリーターが出現した時代である。

 それだけページ数があると、紙面で遊ぶ余裕も生まれて来る。求人募集とともに特集記事やカルチャーのページも多く組まれた。毎号、演劇の情報がぎっしりと掲載され、話題の舞台、注目すべき若手劇団、新人俳優たちが青田刈りで次々と紹介された。

 先に述べた「an・an」「non・no」などで演劇人が紹介される時は、当時これまた劇的な流行を見せ始めていたデザイナーズブランドの服を着せられることもあった。その上でモデルとしてポーズをとりファッション誌のカメラマンに撮影されるのである。

 何しろ景気が良くて、各メディア、有り余る金があり、がっついていない。登場させた役者やアイドルのファンに雑誌を買わせようなんてセコイ了見はなく、求人誌であってもその片隅から鋭い発信をしてやろうという野心に満ちていた。

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筆者

横内謙介

横内謙介(よこうち・けんすけ) 劇作家・演出家・劇団扉座主宰

1961年生まれ。早稲田大学在学中の82年に神奈川県内の高校演劇部OBを中心に劇団善人会議(現・扉座)を旗揚げ。劇団活動のほか、『八犬伝』『オグリ』などのスーパー歌舞伎、ミュージカル、大劇場演劇など多彩な戯曲を手掛けている。92年『愚者には見えないラマンチャの王様の裸』で岸田國士戯曲賞、99年『新・三国志』で優れた新作歌舞伎の脚本に贈られる大谷賞を受賞。近作に21年6月歌舞伎座『日蓮』(構成・脚本・演出)など。厚木市文化振興財団の芸術監督も務める。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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