2021年10月13日
東映京都撮影所を中心に活動する殺陣技術集団「東映剣会」が10月17日に京都府立文化芸術会館で「東映剣会創立70周年記念公演」を開催する。
東映剣会(通称・剣会)は、日本の映画、ドラマを語る上で欠かせない存在だ。
東映京都撮影所のオープンセットは現在、「東映太秦映画村」として公開されているので、旅行などで訪れた方も多いと思う。映画『柳生一族の陰謀』や「水戸黄門」「大岡越前」「暴れん坊将軍」など時代劇シリーズは、ここで撮影されてきた。
今もタイミングがあえば、撮影を見学できる。「本番です。お静かに」とスタッフに声をかけられ、緊張しながら、俳優の動きを見つめられるのは、映画村ならでのお楽しみ。私も30年近く、数えきれないほどここで取材をしてきた。厳しい残暑の中、年末に放送される「忠臣蔵」の雪の中の討ち入りシーン撮影のために冬仕様の衣装でじっと出番を待ったり、凍える真冬のナイト撮影で素足にわらじで立ち回りをこなす剣会の方たちを何度も見ている。
映画全盛期の東映は、楽しく明るい娯楽性の強い作品を量産し、映画館での二本立て興行を成功させた昭和29年(1954)には、配給収入で業界トップに。この時期、京都撮影所では年間64本もの新作時代劇映画を製作していた。
“山の御大”片岡千恵蔵、“北の御大”市川右太衛門を重役に迎え、中村錦之助、大川橋蔵、東千代之介、美空ひばりなど、キラキラしたスターの胸のすく活躍を見せるのが東映時代劇の王道。主役がいよいよ悪の本拠地に乗り込むと、出会え出会えと敵が取り囲む。スターを追い込み、スターの華麗な立ち回りをさらに光らせるのが、剣会の重要な役割となった。
ベテラン殺陣師で元剣会の俳優でもあった菅原俊夫さんに聞くと、昭和30年代の新人の殺陣の稽古はすさまじく、撮影所の道場で1カ月くらい朝9時から夕方5時まで基本から徹底的に叩き込まれる。しごかれて、足がパンパンになって、和式トイレではしゃがめないくらいだったという。
菅原さんは、その稽古に耐えて晴れて「剣会」に入ることができ、撮影に追われる日々となったが、当然、現場でスターに斬りかかれるのは、大先輩だけ。それでも「いつかは前に」と後ろで刀を構えながら、『旗本退屈男』の市川右太衛門の舞のような華やかさと、片岡千恵蔵のどっしりとした立ち回りの違いなど観察を続けた。悪役でも活躍した月形龍之介が、刀を抜き切った瞬間、ふっと手首を下げて、刀の重さを表現するのを見て「この動きひとつで竹光が本身(ほんみ)に見えるんです。それがカッコよくてね」と学んでいったのだ。
剣士への道を突き進む武蔵(錦之助)は、高名な吉岡道場の清十郎との試合、弟伝七郎との三十三間堂での果たし合いを経て、ついには大勢の門弟人が守る少年吉岡源次郎との一乗寺下り松での壮絶な闘いへと向かう。
見せ場は、もちろん豪快な殺陣。
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