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「東映剣会」、日本の映画・ドラマを支え続ける殺陣技術集団の70年

ペリー荻野 時代劇研究家

朝9時から夕方5時まで、道場でのすさまじい稽古

東映剣会の稽古拡大東映剣会の稽古=提供・東映京都俳優部
 この地は、大正15年(1926)、名優・阪東妻三郎が開設した撮影所から発展、戦時の休眠期を経て、昭和26年(1951)、主に時代劇を撮影する現場となった。殺陣師の足立伶二郎らを中心に、殺陣の「技術集団」として剣会が発足したのは、昭和27年(1952)。数百人いた「専属俳優」の中で、特に腕に覚えのある面々、約100名が加入したという。

 映画全盛期の東映は、楽しく明るい娯楽性の強い作品を量産し、映画館での二本立て興行を成功させた昭和29年(1954)には、配給収入で業界トップに。この時期、京都撮影所では年間64本もの新作時代劇映画を製作していた。

 “山の御大”片岡千恵蔵、“北の御大”市川右太衛門を重役に迎え、中村錦之助、大川橋蔵、東千代之介、美空ひばりなど、キラキラしたスターの胸のすく活躍を見せるのが東映時代劇の王道。主役がいよいよ悪の本拠地に乗り込むと、出会え出会えと敵が取り囲む。スターを追い込み、スターの華麗な立ち回りをさらに光らせるのが、剣会の重要な役割となった。

 ベテラン殺陣師で元剣会の俳優でもあった菅原俊夫さんに聞くと、昭和30年代の新人の殺陣の稽古はすさまじく、撮影所の道場で1カ月くらい朝9時から夕方5時まで基本から徹底的に叩き込まれる。しごかれて、足がパンパンになって、和式トイレではしゃがめないくらいだったという。

高倉健さんが作ったトレーニングルーム。殺陣のプロ集団「東映剣会」のメンバーらが今も空き時間に鍛えている=2018年、京都市右京区、高野良輔撮影拡大高倉健さんが作ったトレーニングルーム。「東映剣会」のメンバーも利用する=2018年、京都市右京区 撮影・高野良輔

 菅原さんは、その稽古に耐えて晴れて「剣会」に入ることができ、撮影に追われる日々となったが、当然、現場でスターに斬りかかれるのは、大先輩だけ。それでも「いつかは前に」と後ろで刀を構えながら、『旗本退屈男』の市川右太衛門の舞のような華やかさと、片岡千恵蔵のどっしりとした立ち回りの違いなど観察を続けた。悪役でも活躍した月形龍之介が、刀を抜き切った瞬間、ふっと手首を下げて、刀の重さを表現するのを見て「この動きひとつで竹光が本身(ほんみ)に見えるんです。それがカッコよくてね」と学んでいったのだ。

泥田を走りまわった『宮本武蔵 一乗寺の決斗』の名場面

映画「宮本武蔵」のロケ風景。最後の撮影で打合せをする中村錦之助(左)と内田吐夢監督(右)拡大映画『宮本武蔵』の撮影で打ち合わせをする中村錦之助(左)と内田吐夢監督=1965年
 「東映剣会」で、しばしば語り草になる作品が、中村錦之助の代表作『宮本武蔵』5部作の第4弾『宮本武蔵 一乗寺の決斗』だ。

 剣士への道を突き進む武蔵(錦之助)は、高名な吉岡道場の清十郎との試合、弟伝七郎との三十三間堂での果たし合いを経て、ついには大勢の門弟人が守る少年吉岡源次郎との一乗寺下り松での壮絶な闘いへと向かう。

 見せ場は、もちろん豪快な殺陣。

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筆者

ペリー荻野

ペリー荻野(ぺりー・おぎの) 時代劇研究家

1962年、愛知県生まれ。大学在学中よりラジオパーソナリティを務め、コラムを書き始める。時代劇主題歌オムニバスCD「ちょんまげ天国」のプロデュースや、「チョンマゲ愛好女子部」を立ち上げるなど時代劇関連の企画も手がける。著書に『テレビの荒野を歩いた人たち』『バトル式歴史偉人伝』(ともに新潮社)など多数。『時代劇を見れば、日本史はかなり理解できる(仮)』(共著、徳間書店)が刊行予定

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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