【ヅカナビ】風間柚乃が初主演、『LOVE AND ALL THAT JAZZ』
本作で感じた、人を育てる劇場・宝塚バウホールの存在意義
中本千晶 演劇ジャーナリスト

宝塚大劇場には、同じ建物内に「宝塚バウホール」という劇場がある。客席数2527の宝塚大劇場に対し、こちらは客席数500の小さな劇場である。
バウホールの「バウ」とは船の舳先のことだ。「時代の先端を行く作品を作り出していきたい」という思いを込めての命名である。
その名のとおり、この劇場は次の時代のタカラヅカを支える人材育成の場として活用されてきた。たとえば脚本・演出を一手に引き受ける座付き演出家が、そのキャリアの第一歩を踏み出すところでもある。
そして、もう一つの重要な役割が、次世代のスターを育てることだ。その意味で、月組・風間柚乃が初主演を果たした『LOVE AND ALL THAT JAZZ』(作・演出:谷正純)は見応えたっぷりの意義深い舞台だったように思う。
これぞ「スター力」が試される作品?
風間演じる主人公ルーカスはナチス政権下のドイツ人ジャズピアニストである。だが、この作品は単純にナチスを批判する話ではない。
1幕のルーカスはジャズが禁止されたナチス政権下で闘う。だが2幕、流れ着いたカナダでは敵国人(しかも軍服と偽の身分証でナチス親衛隊とみなされる)として、囚われの身となってしまう。ここでルーカスが発する「ナチと同じだ」というセリフが重い。
戦争という状況下において、人は誰しも他人の自由を奪い虐待する立場になりうるという現実を、この作品はまざまざと見せつける。ひとりの人間の中で愛と憎しみは同居する。2幕冒頭、ルーカスを助けたはずのオリビア(羽音みか)の裏切りはその典型だ。
その中をルーカスは闘い、周りの人の助けを借りながら、失われた自由を、ジャズを、勝ち取っていくのである。どんな人にも光と闇がある、でも、最終的には善と優しさ、愛が勝つのだという人間への信頼が、この作品の根底に流れるテーマである。不可能と思われることにも敢然と立ち向かっていくルーカスを、客席から手に汗握って応援したくなる。
だが、その過程での「突っ込みどころ」も多く、そこに引っかかってしまう人もいるようだ。ルーカスがいきなり軍服姿で登場してしまう唐突さ(でも眼福ではある)、ごく普通の娘であるはずのレナーテ(きよら羽龍)が、歌も芝居も上手すぎる(でも耳福だ)。もしかすると「突っ込みどころ」と「見どころ」は紙一重なものなのかもしれないとさえ思う。そして2幕、収容所内の調達係カール(大楠てら)は、ピアノをいかにして調達したのか…?
そもそも、コスプレと素人芝居で突破できてしまうナチス親衛隊のゆるさはいったいどういうことか? いとも簡単に騙されてしまうコールマン大佐(朝霧真)には親しみすら覚えるが、ナチスにだってこういう人の良いおじさんもいたのだという深遠なメッセージが込められているのかもしれない。
それでも、細かいことなど吹き飛ばす勢いで演じきってみせた風間柚乃のパワーは圧倒的だった。とりわけ2幕終盤の長いソロは圧巻。この人は雪の中500キロを本当に走破したのかもしれないと説得されてしまった。
要するにこの作品、観る者は根底にある骨太なテーマと、随所にある荒唐無稽さや矛盾との間で戦いを強いられるのだ。だが、それらをものともせず、作品を成立させ観客を惹きつけてしまうパワーを備えた演者を得たときには、大きな感動を呼び起こす。小さくまとまるのではない、大きく爆発する可能性を秘めているところが谷作品の面白さである。
このパワーが備わっていることもスターの条件であり、本作はまさにその試金石だった。だとすれば、風間柚乃はこの作品で「スターであること」を見事に示してみせたことになる。もしかすると、あえての試金石的作品の当て書きも、ベテラン谷正純氏の老獪な手腕なのかもしれない、と。これは流石に深読みしすぎだろうか。
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