元皇族の立場より「一人の人」として自分を優先する、という“決意”
2021年10月28日
10月26日、小室眞子さんと小室圭さんの記者会見をテレビで見て、前田敦子さんの名台詞を思い出した。2011年、「AKB選抜総選挙」で「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」と叫んだ前田さん。「私のことは嫌いでも、皇室は嫌いにならないでください」。そんな眞子さんの心の叫びを、会見から感じたのだ。
最初に眞子さんがコロナ禍についての「お見舞い」と「感謝」を述べた後、本題に入った。眞子さんは「これまで、お優しいお導きのもと、皇族としての仕事を、自分なりにできる限り大切に果たそうと努めてまいりました」と述べた。
不思議な文章だと思った。「お優しいお導き」とあるが、誰による導きなのかがわからない。普通なら「天皇、皇后両陛下の」または「天皇、皇后両陛下ならびに上皇、上皇后両陛下の」お優しいお導き、とするところだろう。
が、そういう言及はないまま、30年間の感謝を語り、結婚に話を進めた。「様々な考え方があることは承知しております」とし、「私にとって圭さんはかけがえのない存在です。そして、私たちにとって結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択でした」と述べた。
ここで気づいたのが、「お気持ち」との重複だ。20年11月に眞子さま(当時、とするのも不自然なので、以後は「眞子さん」とする)が公表したもので、「お気持ち」にはこうあった。
「私たちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」
「かけがえのない存在」「自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」という表現を再び使うことで、2人の気持ちはずっと同じだと訴えているのだと思った。
この会見後、秋篠宮さまご夫妻が発表したコメントに「さまざまな困難なことがあったにもかかわらず、二人の考えが揺らぐことは一度もありませんでした」とあった。一時金辞退は眞子さんの考えだが、儀式なしの結婚に至ったのは、秋篠宮さまの考えだと伝えられている。親としてはつらい判断だったろうが、それでも「2人は気持ちを貫いた」という事実には慰められるはず。そんなことも思った。
この日の小室さんの第一声は、「私は眞子さんを愛しております」だった。2021年4月、母親の「金銭トラブル」について説明する文書を公表したが、反響は決して芳しくはなかった。「眞子さまへの思いが伝わってこない」という批判もあった。28枚に及ぶ長い文章の中、眞子さんについては「私と眞子様の気持ち、そして結婚に対する思いに変わりはありません」とあるだけだったからで、それを踏まえての「愛」の表明と理解した。
また眞子さんが引き継いで、結婚へ至る道のりを語った。短くまとめるなら、眞子さんによる「私が主導した」という表明だった。「お母様の元婚約者への対応」「圭さんの留学」を例に挙げ、「私がお願いした」としたのだ。そしてここにも、不思議な文章があった。
眞子さんは「本日まで、私が公に発言する機会は限られてきました。そのために生まれてしまった誤解もあったと思います」と述べ、こう続けた。
「一部の方はご存じのように、婚約に関する報道が出て以降、圭さんが独断で動いたことはありませんでした」
突然の「一部の方」だった。圭さんが独断で動いていない、と知っていた「一部の方」とは誰だろう。心ある国民? 宮内庁職員? そうではないと思う。たぶん「両親」、そして「天皇、皇后両陛下」、さらには「上皇、上皇后両陛下」だと想像する。先述した「お気持ち」の最後にこうあったのだ。
「私がこの文章を公表するに当たり、天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下にご報告を申し上げました。天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております」
これに対しては、自分の結婚したい気持ちに、天皇まで巻き込んだといった批判も招いた。だから、「天皇、皇后、上皇、上皇后」にはきちんと報告していたし、理解もしてくれていたと言いたいところを、「一部の方」としたのだろう。
などと思いながら会見を見て、前田敦子さんの名台詞を思い出したのだ。自分の口からは天皇のことも
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