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映画『MONOS 猿と呼ばれし者たち』のランデス監督に聞く

「余計な情報を排除してあぶりだされた登場人物たちの精神性や魂を感じてほしい」

二ノ宮金子  フリーライター

右派・左派、加害者・被害者、男・女……ボーダレスの意識

──作品を通して思うのはいろいろな意味で「ボーダレス」だということです。プロ、ノンプロが入り混じる出演陣もそうですし、性別もそうです。部隊から脱出を試みるランボーについて部隊のリーダーであるウルフは「弟みたいなヤツ」と話します。ランボーのヘアースタイルがベリーショートということもあり、当初は少年だと思いこんで見てしまいました。劇中ではランボーのことを男性とも女性とも語らずに終わりますね。これは本作品においてとても象徴的なことだと思います。ボーダレスというのは最初から意識されていましたか。

ランデス おっしゃるように、非常にボーダレスな映画として作っています。私たちは何か知ろうとする時に、人を枠の中に押し込めてその視座で理解しようとします。「出身地はどこ?」「学校では何を専攻していたの?」ってね。この映画ではそういった余計なことをすべて排除しました。そのため、シーンによっては非常に黙示録的な展開になっているときもあるし、近未来っぽいところもある。それこそ1960~70年代と思うときもあるわけです。

©Stela Cine, Campo, Lemming Film, Pandora, SnowGlobe, Film i Väst, Pando & Mutante Cine拡大©Stela Cine, Campo, Lemming Film, Pandora, SnowGlobe, Film i Väst, Pando & Mutante Cine

 もう一つ、排除しているのは政治的な信条です。例えば、少年兵たちの「組織」が民兵組織(右派)なのか、ゲリラ組織(左派)なのかもわからないようにしています。シーンによっては映っているのが加害者なのか被害者なのかもわからないし、最終的には男なのか女なのかもわからない。そういう状態を意識的に描いています。

 余計な外部的な情報が排除されていくと、最終的にあぶりだされるのはその人の精神性や魂だと思うんです。ですから、いやが上にも、観客にこの登場人物たちと一緒に時を過ごすことで、なかば強制的ではありますが、その人たち自身を感じてもらえるような構成になっています。イデオロギーを明確にしてしまうと、南米の場合であれば、左派を支持している人たちなら「この少年兵たち、頑張っているのね」となるし、右派の人たちは「けしからん」となってしまいますから。

 さらに美術に関しても戦闘シーンは特にボ―ダレスを意識しました。彼らが着ているものが民兵のものなのかゲリラ兵のものなのかわからないようになっていますし、シリアの戦闘の様子を入れたり、イラクに侵攻した米軍のブーツといったモチーフを使うなどして、あえてごちゃ混ぜにしています。

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筆者

二ノ宮金子

二ノ宮金子 (にのみや・きんこ) フリーライター

カルチャー雑誌などの編集者、ライターを経て、フリーに。映画、本、食、温泉などを中心に執筆。関心領域は、貧困、不登校、子どもの病気なども。主な資格に、美容師免許、温泉ソムリエ、サウナ・スパ健康アドバイザーなど。ツイッターは、 https://twitter.com/kinko_ninomiya

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです