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「おかえりモネ」は問題提起型のしんどいドラマだった

もう少し弾んで考えたかった「当事者性」

矢部万紀子 コラムニスト

 朝ドラ「おかえりモネ」を理解するキーワード=当事者。そう教えてくれたのは朝日新聞文化面だった(10月19日)。震災の当事者とは誰なのか。当事者でない者は、当事者とどう向き合えばいいのか。東日本大震災10年の年にそれを問いかけているのが「おかえりモネ」だ、と。

 脚本家の安達奈緒子さんがよりどころとしたのは、「人の痛みは、その人にしか絶対にわからない」ということ。そうも紹介していた。なるほどー、だから主人公のモネも妹の未知も暗かったんだ、と少し腑に落ちた。でも、わかりやすくはなかった。問題提起型朝ドラ。そんな言葉も浮かんだ。それにしても、しんどかった。今、そんな気がしている。

 そもそも朝ドラといえば、何者かにならんとするヒロインだ。「何者か」の方向はさまざまだが、自分の気持ちに忠実に生きていることは共通する。そのまっすぐさが好きで、長きにわたって朝ドラを見ている。

「おかえり」モネの舞台の一つ、登米市の教育資料館に並んだ出演者の等身大パネルや小道具=2021年5月NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の舞台の一つである宮城県登米市では、出演者の等身大パネルや小道具を教育資料館に展示した=2021年5月

語らないキャラ、複雑な当事者

 「おかえりモネ」のモネは、どうも勝手が違った。未来を見てはいる。それが気象予報士という仕事で、東京でテレビの中継キャスターもした。仕事で自信をつけたから、地元に帰り気象で役立ちたいと模索する。そういう様子は描かれた。が、どうも弾まない。

 モネが「自分を語らない」タイプだということが、まずはある。程度の差はあれ「天真爛漫」なことが多い歴代ヒロインの中で、かなり異質だった。演じた清原果耶さんがいかにも内省的な人だから、彼女を念頭に置いてのことかと思っていた。が、先の解説記事の「人の痛みは、その人にしかわからない」に則るなら、明るく自分を語るタイプにはできない。わかりやすくなってしまうことを避けるための「語らない」キャラだったのか、と想像した。

 弾まなかった二つ目に、モネの「当事者性」の複雑さがある。気仙沼沖の島に住みながら、3月11日には仙台にいた。その葛藤が描かれた。直接津波の被害に遭っていないとはいえ、被災地に住まない身にはモネも十分に「被災者」だ。それがなぜ、仙台にいたら負い目なのかが正直、よくわからない。それよりは津波で妻を亡くした元漁師(浅野忠信)の、「俺は立ち直らねーよ、絶対に立ち直らねー」という台詞の方が胸に迫り、そういうカタルシスが足りないとずっと感じていた。

 モネの葛藤に、何の説明もなかったというわけではない。2つ下の妹・未知(蒔田彩珠/まきた・あじゅ)からの「お姉ちゃん、津波、見てないもんね」という言葉が何度も回想された。だからそれが傷となり、負い目を感じているらしいとはわかった。が、その言葉になぜずっと縛られるのか、わかるようでわからなかった。

 その未知も、朝ドラの常道を裏切る女子だった。

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