「死刑になりたい」は「本当はこんなにも生きたいのに」という心の叫び
2021年11月09日
10月31日、走行中の京王線電車内で男が乗客の胸を刺し、火を放った。「人を殺して死刑になりたかった」「小田急線の事件をまねた」「仕事や人間関係がうまくいかなかった」など、報道を通して聞こえてくる言葉はどれも子どもっぽく、短絡的な犯行にも思えるが、そもそも、その時々の自分の境遇や思いを細やかに言葉にできる人なら、こんな凶行には及ばずに済んだはずだ。自分がなぜこんなことをしてしまったのかさえ、今でもよくわかっていないというのが実際のところだろう。
こういうニュースを聞くたびに、犯罪を生み出した社会になのか、その社会に対して何もできない自分になのかわからない怒りが込み上げてくる。ネットニュースのコメント欄をのぞくと、「みんな苦しいんだ。でも、こんなことはやっちゃダメだ」と励まし合うようなコメントも多く見られ、いっそう胸が苦しくなった。
衆院選で自民党が絶対安定多数を確保したのも、政権がひっくり返ったりして、これ以上不安定な世の中になってほしくないという痛切な願いの表れのように思えた。
私にはなぜか、「死刑になりたい」が「本当はこんなにも生きたいのに」という心の叫びに聞こえる。そして犯罪は「人と関わりをもちたい」「甘えたい」という欲求が極限に達した末の、最後の手段としての、社会との接点のもち方に見える。
正直に言えば、自分が今、電車に火を放たずにいられていることが不思議なくらい、私は容疑者の男の存在を近くに感じた。それくらい、私の人生もぱっとしない。ライター業だけでは収入が足りず、小説家を志しているが、デビューのきっかけになりそうな文学賞には落選し続け、原稿を送った顔見知りの編集者からは1年近くも返事がない。残りの人生の短さを思えば、このまま何にもなれずに死ぬのかもしれないと震えてくる。ここから這い上がれそうな要素は、今のところ一つもない。
久しぶりに都心を歩いてみると、コロナ禍などなかったかのように経済がまた回り出していた。しばらくこもっているうちに、女性たちが着ている衣服のデザインもすっかり変わり、いまだに何年も前の服を着て歩いている私は完全に浮いていた。
誰にも相手にされないので、ひと月ほど前から、誰でも無料で作品を発表できる投稿サイトに、小説の投稿を始めた。誰にも教えていない秘密のペンネームで。初めのうちこそ、本業を離れて別人になれる快感に興奮していたが、1日100にも届かないPV(ページビュー)数に、早くも意欲を失いかけている。仕事で、発行部数が数千、数万の媒体に書かせてもらってきたことが、いかにありがたく、いかに自分の力とは無関係であったかを思い知った。
小説の内容を更新すると、みんなに告知してくれる機能もあるが、同時刻にいくつもの作品が投稿されるため、あっという間に後ろへ押し流されてしまう。
他の投稿者が書いているアドバイスを読むと、PV数や評価を伸ばすには、他の作品も積極的に読み、多くの作者と交流を深めることが欠かせないようだ。いまだに3Gのガラケーを使い、ツイッターもLINEもやったことのない私には、知らない人と次々交流するなんて、考えただけで気が遠くなりそうで、できそうもない。
こんなところでも、コミュニケーション能力がものを言うのかと複雑な気持ちになる。
ランキングの上位を占めるのは、異世界転生もの。死んで、異世界に生まれ変わった主人公が、その世界では魔法などの特殊能力を使えたり、モテモテだったりするといった内容のジャンルだ。
以前パートをしていた八百屋に、このジャンルを愛読している30代の男性がいて、
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