瀬戸内寂聴さんにじっくり話を伺ったのは1度だけ、2012年6月のことだった。といってもたかだか1時間か2時間のことで、それだけで寂聴さんについて書くなど恐れ多いことだと承知している。だが、編集長として骨格をつくっていただいた。そのことへの感謝の思いを込め、私なりの寂聴さんを書かせていただこうと思う。

法話をする瀬戸内寂聴さん=2015年4月8日、京都市右京区
インタビューをした時、私はシニア女性誌の編集長をしていた。長く勤めた新聞社を辞め、畑違いの世界に飛び込んで1年余り。シニア女性の多様さに触れ楽しかったが、悩みも生じていた。多様さを描くだけでは、何かが足りない。そんな悩みだった。
そもそもターゲットは50歳以上の女性。読者も取材対象も60代、70代は当たり前、80歳を過ぎた女性もたくさんいた。こちらは50歳になったばかりだったから、最初はシニア女性像を「子育ても終え、孫の世話をして、それでも元気にしています」と単純にとらえていた。が、実際には、こちらの想像の上をいくシニア女性もたくさんいて、それが新鮮だった。
例えばやかんを100個以上収集しているという女性は、60代のイラストレーターだったと記憶している。東京・麻布の小さなギャラリーで、コレクションの一部を展示していた。私は「偏愛系」の人が大好きなので、早速誌面で紹介した。フォルムに惹かれて集めるうちに数が増えていったと知り、うれしくなった。
そんな調子で雑誌作りにいそしんでいたが、壁にぶちあたった。「偏愛系」の記事の人気が芳しくなかったのだ。やかんが問題なのではなく、「変わったテーマ」全般がそうだと読者アンケートで気付いた。毎号のアンケートなどに基づき、記事ごとの成績が発表されていたのだ。
難しいのが、成績の「意味」の見極めだ。「変わったテーマ」とまとめたが、何が変わっていて、何が変わっていないか。それがわかるまで時間がかかったし、最後まで理解できたかは実は自信がない。偏愛系に関しては、「少数派が愛する=偏愛なのだから、そもそも多数派にはならないね」という当たり前の整理をするのに1年かかった。