天地真理の「若葉のささやき」からヒップホップまで
2021年11月26日
「どうしてもアナログレコード(以下:レコード)から離れられないんですよねー」
もうずいぶん前のことになるが、長く通い続けている中古レコード店の店主にそう告げると、彼の口から次のような答えが返ってきた。
「そりゃあね、我々はレコードで(音楽を)聴いてきた世代ですからね」
非常に納得させられた。たしかにそのとおりで、昭和生まれの私たちにとってレコードは、「音楽を聴くために必要なもの」だったのだ。ノスタルジー以前の問題なのである。
しかし、そんな事情を差し置いてもレコードはさまざまな意味で魅力的だ。だから、ここにきてレコード人気が復活しているという報道にも充分納得がいく。「まー、そうでしょうね」という感じ。
かつてはレコードを駆逐した(が、結果的には“オワコン”になった)CDにも、音楽を聴く手段としてすっかり浸透したストリーミングにもない絶対的な魅力が、間違いなくレコードにはあるからだ。
そこで今回から2回に分け、私が考えるレコードの魅力を明らかにしていきたい。ただし、そのためにはまず個人的なレコード体験談を書かせていただく必要がある。つまりこの文章は、きわめて自分史的なニュアンスが強くなってしまうのではないかと思う。
しかし、それはレコードの魅力を語るうえでは避けて通れないことでもあるので、どうかご容赦願いたい。
いま、レコードについて語られる際には、「手間がかかるところがいい」「ジャケットを壁に飾れる」など、他のメディアにはないレコードならではの魅力がクローズアップされることが多い。
もちろん、それらは共感できることばかりだ。だが先ほども触れたように、私が小学校高学年のころ、音楽を聴くための手段はラジオか、もしくはレコードしかなかった。音楽を聴きたいなら、“買わなければならない商品”だったということだ。そうでなければ(ラジオでかからない限り)聴けなかったのだから。
したがって好きな曲が出てくるたび、「レコードが欲しい」という気持ちが大きくなっていった。ちなみに4年生のときに初めて買ったシングル盤は天地真理の「若葉のささやき」で、翌年入手した2枚目がカーペンターズの「プリーズ・ミスター・ポストマン」である。
さらにいえば、同年に手にした初めてのLPは、井上陽水の『陽水ライヴ もどり道』。安物のレコードプレーヤーが置いてあった西陽の入る六畳間で、ひとり熱心に聴いていた記憶がある。そういえばあの夕陽を見ながら、NSPの「夕暮れ時は淋しそう」に感動したこともあったなー。
という話はともかくも、そんなわけで以後も小遣いをやりくりしながら少しずつ集めていくようになったのである。
が、新品のレコードは決して安くなかった。1975年あたりなら、“ドーナツ盤”と呼ばれていた7インチのシングルが500〜600円、LPレコードは2500円前後だったと思う。当然ながら小中学生には簡単に買えるものではなく、せいぜいシングルを半年に1枚くらい、LPは年に1枚買えればいいという状態だった。
しかし、買えなければ購買欲は余計に高まっていくものでもある。そのため高校生になってからはアルバイトで得たお金のほとんどを、輸入レコード店の廉価盤か、あるいは中古レコードのために費やしていた。おかげで高校2年になったころ、コレクションは200〜300枚くらいまで増えた。高校生としては、かなり所有していたほうだったのではないだろうか。
あのころはドゥービー・ブラザーズなどのアメリカン・ロックや、当初はクロスオーバーと呼ばれていたフュージョンのレコードをよく買っていた。吉祥寺にあった「レコードプラント」という輸入盤店には、安いカットアウト盤がたくさんあったので重宝した。
次第に増えていくレコードを眺めるのは楽しかったが、そこからわずか数ヶ月後には絶望の淵に立たされることにもなった。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください