葬儀が退屈だとはとても言えない
葬儀はなぜ退屈なのだろうか。
読者の方は、なんて不謹慎なことを言う人間がいると思われたかも知れない。厳粛な葬儀の場を、退屈だなどと言うのは、確かに不謹慎である。
それを承知であえて、読者の方に聞きたい。葬儀に参列して、退屈を感じたことは無かっただろうか。
言いにくいことだろうが、おそらく大半の人が、退屈を感じたことがあるはずだ。眠くなった経験のある人もいるだろう。いけないと思いながらも、気がつくと眠くなってしまうのである。
ただ現実には、退屈だとか、眠くなったとかは、口にしにくい。仮に眠くなってしまったとしても、故人に対して失礼な気がしてしまう。眠くなったのは、自身に真剣さが足りないと考えるのがほとんどであろう。
野辺送りの時代
ここで、皆さんの気持ちを代弁して、ひとこと言わせていただく。
「現代の」葬儀は退屈である。
あえて「現代の」と書いたのは、ひと昔前は、葬儀で退屈を感じる人はほとんどいなかったからである。
葬儀のあり方は、社会のあり方の影響を受けやすく、時代時代で大きく変化している。戦後の70数年の間だけでも、葬儀のあり方は何度も変化してきた。
中でも、昭和の高度経済成長期にもたらされた変化は、とても大きなものだった。
日本の葬儀は、野辺送りと言われるものを中心に構成されていた。葬列とも言われるが、遺族親族が列をなして自宅から墓地まで歩いて行くプロセスそのものが、葬儀だったのである。

戦死者を弔う月瀬村(現奈良市)の葬列=1942年
オーソドックな葬儀のプログラムは次の通りである。
葬儀の日、自宅で、遺体の納められた棺を前に、僧侶がお経を読む。そこにいるのは、家族と親族だけということが多い。またお経は、現在の葬儀のように、何十分もかけるのでなく、せいぜい10分程度である。
お経を読み終わったら、家族親族が棺とともに家を出て一列に並ぶ。僧侶もその列の前のほうに入り、お経を読みながら、家を出発する。
葬列は、お寺に向かい、村の中を歩いて行く。村の人達は、葬列に向かって手を合わせ、故人を偲ぶ。中には、葬列の後をついていく人もいる。
お寺につくと、本堂の前に棺を安置し、そこであらためてお経を読む。
お経が終わったら、今度は、墓地に向かって葬列を進めて行く。墓地では、村の人達が、遺体を埋葬する穴を掘って待っている。葬列が到着すると、遺体を穴に沈めて、上から土をかけていく。
僧侶は、埋葬時にもお経を読み、他の人は、それに向かって手を合わせる。
埋葬が終わったら、また列をなして、自宅に向かって行く。
これが以前は当たり前だった、野辺送りを中心とした葬儀である。故人に関わる全員で、墓地に送るダイナミックな儀式である。

1961年3月、福岡県田川郡香春(かわら)町で
こうした葬儀で、退屈を感じる人はいるだろうか。眠くなる人はいるだろうか。それぞれに役割があり、みな葬儀という場を共有しており、退屈を感じる暇などないだろう。
野辺送りという形式は、葬儀というものの本質をよく表している。
まず、葬儀は、死者をあの世に送る儀式だということである。
家から家族親族みんなで、遺体と一緒に墓地に向かう。墓地に向かう列に対して、手を合わせて見送る。儀式そのものが、死者をあの世に送るということを語っている。
そしてもうひとつは、故人をあの世に送るのは、僧侶だけでなく、葬儀に関わる人全員だということだ。
僧侶が儀式を行っていて、それを遺族や参列者が後ろから見ているというのが現代の葬儀である。一方野辺送りの葬儀では、遺族親族全員で墓地に向かい、それに対して、村人全員が手を合わせるという展開である。
現代の葬儀においては、遺族親族参列者は、どちらかというと観客に近い。ところが野辺送りの葬儀では、全員が主役なのである。そして全員が、故人をあの世に送るという物語を共有している。
現代の葬儀と野辺送りの葬儀は、表面的なプログラムが変化しているだけでなく、参加者の役割も変化してしまっているのだ。