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中村吉右衛門さん、時代劇の軌跡──花房出雲、武蔵坊弁慶、鬼平

ペリー荻野 時代劇研究家

歌舞伎とともにテレビ時代劇でも異彩を放った中村吉右衛門さん歌舞伎とともにテレビ時代劇でも異彩を放った中村吉右衛門さん

 11月28日、77歳で世を去った中村吉右衛門さんは、歌舞伎界を代表する立ち役のひとりであり、時代劇の名優としても親しまれた。

 時代劇の代表作といえば、1989年から2016年まで主演を続けた「鬼平犯科帳」がまず思い浮かぶが、他にも印象的な作品がいろいろある。

 たとえば、80年から82年にかけて3シリーズが放送された「斬り捨て御免!」。

 「斬り捨て御免」の特権を持ち、江戸市中の治安維持を担う武家番所のひとつ「三十六番所」の豪放磊落な頭取・花房出雲(吉右衛門)と配下の活躍を描く。第一シリーズの最終話「江戸城危機一髪」では、上様御落胤(らくいん)を名乗る照千代なる若者が登場。傍若無人な振る舞いをする照千代一派の背後に大きな悪が潜む。出雲は追い詰めた悪を「御免!!」と発しながら、一刀両断する。

 30代半ばの作品だが、三十六番所の飄々とした名物オヤジ関大介(長門勇)や熱血漢・松波蔵人(伊吹剛)など、部下たちをよくまとめ、遊女屋の主(小島三児)ら町の者にも頼りにされる出雲のキャラクターは、のちの「鬼平」にも通じるように見える。

 もっとも、シリーズが重なるごとに娯楽作の味わいが濃くなり、闇を牛耳る謎の「翁の御前」と戦うことになる第3弾のオープニングでは、女性の裸体がシルエットで浮かぶ中、出雲は毎回、上空から飛んでくる巨大な翁の面に斬りかかる。出雲たちを散々に苦しめた「翁の御前」の正体がわかったときは、正直、ちょっとカックンとなったが、豪快でお茶目なところもある出雲は、吉右衛門さんにぴったりだった。

 この作品は、東京12チャンネル(テレビ東京)と歌舞伎座テレビの制作だった。歌舞伎座テレビの元は、映画全盛期に松竹で主に時代劇を製作していた「歌舞伎座映画」で、70年代にテレビが娯楽の中心となると、「歌舞伎座テレビ室」に改称して、成長株の歌舞伎俳優を起用した時代劇を製作した。当時は、7月8月に歌舞伎の舞台が休みだったので、多くのドラマは、その間に集中して撮影。その他のシーンは舞台公演の合間に大急ぎで撮影していたという。「斬り捨て御免!」も各シリーズ約半年ずつの放送で、スケジュール調整は大変だったはずだ。

夫と父の顔を見せた、豪放にして心優しい弁慶

 もうひとつの人気作品が86年4月から12月までNHKで放送された「武蔵坊弁慶」である。原作・冨田常雄。制作は「天下御免」、「御宿かわせみ」、大河ドラマ「武田信玄」などで知られる村上慧。音楽は芥川也寸志、語りは山川静夫アナウンサーが担当。大河ドラマ並みの「新大型時代劇」であった。

 暴れ者の武蔵坊弁慶(吉右衛門)は、京の五条大橋で源義経(川野太郎)と運命的な出会いを果たし、義経の従者となる。平家打倒の死闘に勝利した弁慶らだったが、味方のはずの源頼朝(菅原文太)から、義経討伐の命が下り、追い詰められていく。この弁慶の大きな特長は、幼なじみの女・玉虫(荻野目慶子)と恋に落ち、娘・小玉虫(高橋かおり)を授かり、夫と父の顔を見せること。吉右衛門さんは豪放にして心優しい弁慶を熱演。死を覚悟しながら、最愛の女と愛娘にあてて、自分を追って北国へ来るなら「しもやけの薬を忘れずに」などと手紙を残す場面は泣ける。

 放送当時、来日したチャールズ皇太子とダイアナ妃夫妻がNHKの撮影現場を見学したことでも話題になった。場面は、壇ノ浦の戦いを前に、弁慶と玉虫の別れの場面。同時通訳でセリフや物語の流れを聞いた皇太子は

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