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【古川日出男・新連載】音楽が禁じられたアフガニスタンと「私」をつなげてみる

越境する力を恐れる社会、その居心地の悪さ

古川日出男 小説家

記憶を意識してつなげてみる

 現代史というものは整理がもっとも難しい。

 国内のことと国外のこと、「私」に関わることと「公」のことが渾然一体となって展開しつづけるからだ。

 たとえば日本における2021年最大のトピックは、そのひとつが東京オリンピックと東京パラリンピックだと断言してよいはずだが、それぞれの開催日程と中央アジア・南アジアで起きていた出来事とを日付のような感覚をもって対応させようとすると、すでに私の記憶は歪んでいる。

 アフガニスタンは、いつ、再度タリバンにその全土が掌握されて、アメリカ軍は、いつ、アフガニスタンから完全撤退したのか? 前者が8月15日であり、後者が同月31日であると、「アフガン史」に集中すれば口にできるのに、それが今年の東京オリンピックの閉会式の前か後か、東京パラリンピックの開会式の前か後か、を判断しようとするや、「おや? 自分はアフガニスタンにおける民主主義政権の崩壊を、パラリンピックが始まった後だ、と、なぜだか勘違いしていた」と気がつく。

飛行機が出国を急いでいた2021年8月14日のアフガニスタン・カブールの空港=Trent Inness/shutterstock.com
 双方に関心を持っていても、記憶がつながらない。

 そういうのはたぶん、最初に「これらふたつは、国内・国外という別々の場所で発生している、内容的にも別々の事柄である」と脳が整理を終わらせてしまっているからだ。初めに違うカテゴリーに収納されてしまった事象は、つなげては呼び戻されない、ということなのかもしれない。

 だとしたら「つなげる」ことには、理解や咀嚼(そしゃく)を促す側面があるはずなのだとも言える。

 私は、11月下旬にタリバンが女性のテレビドラマ主演を禁止したとの報道に触れて、意識的にその「つなげる」をしてみよう、と思った。

 タリバンは現在、暫定政権という形でアフガニスタンを統治している。この「女優出演ドラマの放送禁止」を発令したのは、その政権のもとにある勧善懲悪省である。ある新聞記事(毎日新聞)は「勧善懲悪省は事実上の宗教警察」と書いていて、そういう解説はわかりやすい。

 私が、アフガニスタンの現代史(現在進行形の現代史)を追っていて、いちばん唖然としたのは前政権の女性問題省というのが廃止されて、同省の建物がそのまま勧善懲悪省になったことだったのだけれども、見事に女性問題に対して「勧善懲悪省なりの回答」を示したわけだ。

歌手殺害に衝撃を受けた

 ここには演劇という芸術形態に対するスタンスもある。

 たとえば我が国の歌舞伎の歴史が、初めは女歌舞伎(女性が主役である)からスタートしたのに、それが「風紀を乱す」との理由で江戸幕府に禁止されて、男性のみが出演する舞台芸術に変わった、現在でも歌舞伎は「女優出演を禁じている」のだと説いたら、女歌舞伎を禁制にした寛永年間の江戸幕府は、いま現在のアフガニスタンのタリバンと同じだ、と感じないでいるほうが難しい。

 だが、だからといって「歌舞伎の伝統を変えろ」と訴えたり、「そもそも女優という言葉が差別的だ。この記事に『女優』と書いたりするな」と批判されたりしたとしたら、そうした伝統や文化の厚みが生んだ「言葉」とはいったい何か、ということまで、もっと徹底して考えなければならない。

 少なくとも、伝統・文化については思考することが要る。なぜならば、タリバンのアフガニスタン支配が成り立った直後の時期、私がもっともショックを受けたのは、ひとりの民謡歌手が殺害されたという事件だったからだ。

2016年のカブールの露店。音楽CDやDVDがたくさん売られていた
 タリバンは「音楽はイスラムの教えに反する」と主張している。これは彼らがそのようにイスラム教を解釈している、ということなのだけれども、それからまた、彼らの言う「良い音楽」は別枠で扱われているのだけれども(この「良い音楽」とは、果たせるかな、一部の宗教的な歌である)、土地に根ざした音楽を演奏して、土地を褒めたたえる歌詞の乗った歌をうたう人間が、タリバンの戦闘員に殺害されるというのは、結局のところ「タリバンはアフガニスタンという土地に対して、何をしようとしているのだ?」と私を苦みばかりの感情に突き落とした。

私が経験した音楽が消えた世界

 タリバンは音楽活動の弾圧に乗りだした。国立の音楽学校は閉鎖された。国歌斉唱も駄目らしい(凄いことだ)。音楽の演奏のみならず、音楽の放送もNGである。

 このように列挙すると「どうしてそこまで、野蛮で、ひどいのだ?」と反応してしまいがちなのが、たぶん、筆者も含めた「私たち(=日本人)」なのではないかと私は愚考する。

 しかし、ここで、私は「つなげる」ために立ち止まる。

 たとえば音楽イベントや演劇公演が禁止された世界ならば、私たちはこのコロナの時代に体験したし、もしかしたら体験しつづけている。

 「それは理由があってのことだ! 新型コロナウイルスの感染リスクを下げるためなのだ!」と反論されるのは、まあ目に見えている。ただ、現在50代の筆者は、1989年に昭和天皇の崩御というのを同時代的に体験した。

 その頃、私は渋谷区の、かなり新宿に近いエリアに住んでいて、職場も新宿にあったのだけれども、この崩御の日とその翌日、市街地から完全に音楽が消えたことに衝撃を受けている。

 「2日間、喪に服しましょう」とのお達しがあったのだ。すると、最初にNGとなったのは音楽だったのだ。JR新宿駅の前で、あの賑やかな界隈で、聞こえる音楽がない、という情景(これはランドスケープというよりもサウンドスケープだが)は、自分の日常が奪われるというか、むしろ「世界が奪われた」との本能的な認識をもたらした。

 この、喪に服すためには音楽は駄目だ、との相互承認。

昭和天皇の「大喪の礼」が行われた1989年2月24日。東京・新宿の繁華街はガランとし、弔旗だけが目についた
 それは、「コロナで自粛している世界に『音楽』は不要だ」と言いかねなかった三十数年後のいまの日本に、おそらく酷似している。バブル期も、このコロナの時代も、そうした感性(日本人の心性)は変わっていないと指摘できる。

 不要不急のものを禁じるのがコロナ禍の地球なのだ、とも言い換えてみよう。だが、そこでこそアフガンの現代史に登場願うことが要る。

 タリバンは、あのように武装して、わざわざ「不要」を攻撃するのか? 私にわからないのはそれだ。彼らは音楽が人びとにとって「不要」とはなりえないと判断しているからこそ、公共の場からそれを排除しようとしているのではないか。彼らは楽器作りまで禁止しているらしい。

 ということは、彼らの目にはひとつの弦楽器がひとつのライフルのように映る、ということではないのか?

 私は、もう一歩掘り下げて考えたいのだ。「必要不可欠とはなんなのか?」と。

「言葉」が描く社会の輪郭

 ここで言葉と音楽の関係という問題が出る。私には率直な、そしてシンプルな疑問がある。

 なぜ、しゃべってはよいのに歌っては駄目なのか?

 音楽が禁止された社会とは、つまりそういう世界だ。会話は許可されている、歌唱は禁じられている。しかし、このふたつは厳密にはどう違うのか?

 そこで私は、まずは非常に個人的な課題に自分の意識を向ける。

 どうして俺は、日本語はすらすらと話せるのに、英語になると詰まるのか?

 答えは「英語のほうは母語ではないから」だろう。

 だが、しかし、母語ではないとは具体的にはどういうことなのか?

 すると「日本語は、『どう書くのか』というのは日本語をある程度マスターしてから覚えた。しかし、英語は、『どう書くのか』と『どう話すのか』を同時に学校で教えられた。その差がある」とわかる。

 要するにこれは話し言葉と書き言葉という問題で、音声としての言語のみをたっぷり浴びる地平から出発しないと、語学の習得には困難が持ち込まれることになる、との仮説を提出できる。

 それから、たとえば日本語というこの言語だが、漢字カタカナひらがなで表記される日本語の「書き言葉」の側面の体系は、当然ならば「話し言葉」の日本語が生まれた後に、しつらえられたのだ、と断言することもできる。

 そして最大の問題が、それじゃあ「話し言葉」と音楽とは、どっちが先に生まれたんだろう? との問いとなる。

 もちろん私は結論は持っていない。私は言語学者でも音楽学者でもない。アバウトな仮説は出せるが、そんな仮想にどれほどの価値があるのか、と、私自身が前向きでない。

 しかし言語に関しては、作家という職業柄、普段から扱うので、そこだけは突っ込んで考えてみたい。

音楽を恐れ、止める社会とは

 そこにひとつの言語があるとする。アフガニスタンであればパシュトー語(タリバンの指導部の大半はパシュトゥン人である)、日本ならば日本語。なんでもよいのだけれども、この、ひとつの言語はどのような境界を定めようとするのか? 結論を言えば「社会的な輪郭」である。

 私たち日本人は、仮に中央アジアで「日本人そっくりの顔立ち」の現地の人に会っても、その人物が日本語を話さなかったら「ああ、日本人ではないのだ」と判断する。つまり、口にされる言葉で「○○人である」と決定している。これが、社会的な輪郭・共同体的な輪郭ということだ。人物Aと人物Bがコミュニケーション可能なひとつの言語を持たないのならば、BはAの共同体(コミュニティ)には所属しておらず、AもまたBから「境界の外の人間」とジャッジされる。

 ところが、そうではないのが音楽であったりする。ここに要点がある。

 私たちは、もちろん未知の他言語で歌われる音楽の、その(歌詞の)意味は理解できない。しかし、メロディだのリズムだの、楽器の音色だの、声に特徴があるだの、倍音が含まれているだの、そうしたものは簡単に理解してしまう。感受してしまう。

 要するに、音楽は、社会の、コミュニティの、境界をごしごし消しゴムで消して、いわゆる「よそ者」にも響かせてしまうポテンシャルを秘めている。

 もしも……たかが一台の弦楽器が一挺の自動小銃に見えるのだとしたら、そうした現象を起こしている基礎・基底にあるのは、こうした事実(事態)なのではないか?

2002年1月のアフガニスタン・カブール。戦争で廃墟となった劇場に音楽が響き、多くの聴衆が集まっていた
 言うまでもないが新型コロナウイルスのパンデミックは、現代の「グローバリズム」社会がひき起こした。そして、越境する力とは、そうした世界規模(グローバルさ)を指向する力である。

 だとしたら、パンデミックを抑え込むために各国の水際対策が採られている現況下、音楽にも「その越境するパワーを、封じろ」との厳しい目が向けられたことは、じつは妥当だったのだとも言える。

 だが、その妥当性は、コロナとの「つながり」の側面でしか思考されていない。今度はここで、つなげない、という発想が要るのではないか? どうして、音楽にひかれるのか。どうして、音楽を恐れるのか。果てには憎悪するのか?

 私は、「音楽をとめろ」といって喪に服しつづけているこの世界のありようが、あまり居心地のよいものには感じられないでいる。