「愛してくれなきゃ仏罰下るわよ」
2021年12月18日
初音ミク、「奇跡」を生むネットワークの要〜奇跡の3カ月(16)から続く
「護法少女ソワカちゃん」と聞いて、内容がピンとこない人は、とりあえず下に埋め込んだ動画を視聴してほしい。
魔法少女ものの設定ながら、背景は仏教という斬新さ。ヘタウマ風の味のある画風とアニメーション。それ以上に、次から次へと繰り出されるナンセンスギャグやパロディ。こうした作風を好む人は一発でとりこになるだろう。
そもそも下記の画像のようなセリフをどうやったら思いつくのか。コンピューターゲームでいうなら、体力へのダメージはそれほどでもないが、精神力はごっそり削られる、そういう類だ。
この第1作の投稿が2007年10月8日。そのわずか1週間後の10月15日に、第2作が投稿される。セックスピストルズの楽曲を意識していた第1作とはがらりと異なり、何と言っていいか判然としないサイケデリックな楽想だが、画風とギャグのセンスは健在だ。
さらに10日後の10月25日、第3作が投稿される。イントロからしてウェスタンのようで、音楽の方向性はまたも変わっている。
わずか2日後の10月27日に投稿されたシリーズ第4作。今度は演歌だ。もはや何でもありに近い。
この「護法少女ソワカちゃん」シリーズは、この後も矢継ぎ早に投稿され、2007年末までに実に11作が公開される。驚くべきペースといっていい。
荒唐無稽と済ませられればまだいいのだが、困ったことにというか、ストーリーがダイナミックで面白いうえに、各楽曲の水準も高く、ギャグやパロディの切れが抜群にいい。何より、主人公のソワカちゃんをはじめとする登場人物たちのキャラがやたらと立っている。
初音ミクやボーカロイドを使った音楽作品が広まっていくにつれ、ストーリーのある楽曲の連作も投稿されるようになる。いくつかはネットを飛び出して出版やアニメなどでも展開し、大ヒット作も生まれた。そうした作品を支持したのは主に当時10代だった人々で、今は多くが社会人になっている。新社会人の少なくとも一定の割合の人々にとって、初音ミクやボーカロイドの文化は、音楽や動画だけでなく、物語やアニメの世界でも馴染み深いものになっている。
代表例は「カゲロウプロジェクト」(略称カゲプロ)だろう。
クリエイターじんさんによるボーカロイド歌唱の連作動画が若い世代の圧倒的な共感を呼び、小説としてもシリーズ化された。その書籍の累積出版部数は1500万部にも及ぶという。コミック化、アニメ化もされている。
「カゲプロ」の動画第1作となる「人造エネミー」が公開されたのは2011年2月17日、ブームを爆発させる「カゲロウデイズ」(下記)の公開は同年9月30日だった。以後、「カゲプロ」シリーズの動画は、公開されるたびに爆発的な人気を呼び、この時期のボーカロイドブームを大きく加速した。
「悪ノ娘」は、初音ミクの次に登場したボーカロイド鏡音リンの歌唱、シリーズでは各ボーカロイドがそれぞれ役を担い、宿命的な物語を紡いでいく。
この「悪ノ大罪」シリーズも、作者の悪ノPことmothyさん自身によって小説化され、好評を博した。ロシアなど海外での人気が高いのも大きな特徴だ。また、2021年12月中旬現在、人気のソーシャルゲーム「プロジェクトセカイ」でも重点的に特集されている。ボーカロイド文化の歴史上、重要な作品群といっていいだろう。
さらに先立つ「森之宮神療所☆」シリーズは、視聴者がコメントで祈願の言葉を投稿するのが慣わしのようになっており、「新型コロナが終息しますように」など、最近投稿されたと思われる視聴者コメントも目立つ。今も引き続き愛好されているのだろう。
そうした語りもの・物語タイプの作品群の最初期の代表が、「護法少女ソワカちゃん」シリーズといっていい。とはいえ、シリアスさが前面に出た「カゲプロ」「悪ノ大罪」シリーズなどとは大きく異なり、ギャグとパロディの応酬になっている(一方、ストーリーの面白さや個性という点では全く引けを取らない)。
「ソワカちゃん」シリーズでは、歌とストーリーだけでなく、絵やアニメ動画も作者自身が制作していた。しかも前述のようなハイペースな投稿。初音ミクとボーカロイド、歌声合成ソフトのその後の15年近い歴史を見渡しても、ここまで個性的で縦横無尽な活躍を見せた作者は決して多くない。
連載次回の「下」(後編)で詳述するが、「ソワカちゃん」シリーズには、熱心でコアなファンが多いのも特徴だ。知識人層にもそれは及ぶ。
「テヅカ・イズ・デッド」などの著書がある東京工芸大学マンガ学科の伊藤剛教授もその一人。雑誌「ユリイカ」が1冊全部(約240ページ)を初音ミクの特集に充てた臨時増刊号「総特集 初音ミク〜ネットに舞い降りた天使」(2008年12月発行)には、伊藤さんによる「ソワカちゃん」シリーズの紹介と、その意味の解説が実に8ページに渡って掲載されている。
今回は、改めて伊藤さんに「ソワカちゃん」シリーズについて紹介を依頼、次のようなコメントを寄稿してもらった。
『護法少女ソワカちゃん』は、2020年代の現在となっては、ボカロの歴史を知りましょうといった関心にとらえられるものかもしれないです。いまソワカちゃんをひとに勧めるとしたら、いったいどういう切り口がよいのか、正直迷います。仏教や現代思想などの引用が云々や、表現形式のハイブリッドなどは、言及すればするほど「面倒くさい」感じがするからです。そこで、まずは、特異な言語感覚と、ゴシックやインダストリアルといった1980年代のオルタナティヴな洋楽の影響の濃い、演劇的な楽曲のすばらしさを言っておきましょう。
ソワカちゃんの言語感覚は、語の選択のみならず、子音のパターンを適確にメロディーに乗せるやり方で醸し出された独特のグルーヴにもみられます。「修羅礼賛(しゅららいさん)」とか、普通出てこないと思います。シュラライサン、シュラライサンと重ねるサビに、私はまずやられました(『修羅礼賛 護法少女ソワカちゃん第11話の歌』2007年12月)。また、たとえば『コードネームは赤い数珠』(2008年3月、MEIKO使用)のラストでは「シャーンティカシュリースヴァーーハー」と歌い上げるのですが、これは『消災吉祥陀羅尼(しょうさいきちじょうだらに)』という仏教の呪文(陀羅尼)の最後の部分「消災吉祥薩婆訶」をサンスクリット語で読んだものです。
ソワカちゃんのサウンドからは、個人的には、SPKやキャバレー・ヴォルテール、コイルといったバンドを想起しています。とりわけ、ジム・フィータスの名が浮かびます。いずれも、チープな電子音を用いつつ、硬質で重いビートを特色とするものですが、それと初音ミクの高くて細い声がフィットしたのが、何より思いがけない幸運な出会いだったのだと思います。そこで「ソワカちゃん」という存在が爆誕したのです。
「ソワカちゃん」シリーズは、ギャグやストーリーを追うだけでも十分に楽しめる。私事だが、2007年当時小学3年だった筆者の長男は、「ソワカちゃん」の新作が公開されるたび、大喜びで視聴していた。「ソワカちゃんの新しいの、まだ?」というのが、あのころの彼の口癖だったし、親子の共通の話題にもなっていた。つまり、小学生でも爆笑しながら視聴できる内容だった(一緒に動画を見ながら、荒唐無稽な部分などで「こんなこと、実際にはするなよ」と念を押したが、「するわけないだろ」と余計なお世話扱いされた)。
その一方、伊藤さんが指摘するように、このシリーズは、紐解いていけばいくほど、一筋縄でいかない複雑な側面も持っている。これらの多彩な要素が、カルト的な人気を博した理由でもあり、今もファンの熱い声援を呼ぶ結果にもなっている。こうした作品が2007年10月というきわめて早い時期に生まれていた。(こうした複雑な側面を描こうとした結果、当初の構想では1回分だった「ソワカちゃん」の記事が、上下2回に渡ることになった)
こうした特異な作品群を生んだ作者kihirohitoさんはどんな人なのだろう。
kihirohitoさんが初音ミクを知ったのは、ネット記事を読んだか何かがきっかけだったが、今でははっきりしないらしい。
音楽は中学時代からバンド活動をしており、ドラム以外の楽器は一通りこなせたという(ASCII.jp + デジタル「80年代とネットが生んだ『護法少女ソワカちゃん』」、2009年09月18日)。
DTMに関しては「PCを使ってやるものと定義すれば社会人になってから。多重録音での曲作りは中学生からやっています」と、筆者の取材に対して答えている。
もう一つの経験はミュージカルの作・演出だ。もっとも、ミュージカルと名乗れるほどではなかったとkihirohitoさんは考えていて、「偽ミュージカル」と表現している。
すでに社会人になっていた1999年ごろ、知人の女性が東京都内の小劇場で上演していた芝居を見に行ったところ、あまりにもつまらなかった。そこで、演劇の経験もないのに「脚本と演出をやる」と名乗り出た。それをきっかけに芝居の世界に入り、上演したオリジナルの作品が2作ある(脚本提供が他に1作)。
脚本(ストーリー・歌詞)と演出(見せ方・伝え方)、そしてミュージカルなので音楽もある。この音楽も、kihirohitoさんがDTMで作った。「ソワカちゃん」シリーズを生み出したマルチな才能は、このときすでに顔を見せていた。
一口に小劇場といっても観客の収容人員には意外に幅がある。有名な紀伊國屋ホール(東京・新宿)は427人、本多劇場(下北沢)は386人だ。kihirohitoさんが上演した劇場は50人程度、だいぶ小さな部類といっていいだろう。
内容については、「方向性はコミカルなダークファンタジーとでも言ったらいいのか」と表現する。1作目は中身は完全に忘れたがオカルトもので、同じ役者が複数の役を演じるかなりゴチャゴチャした内容だった。2作目は死体置き場を舞台に、BSE(牛海綿状脳症、狂牛病)に冒された登場人物たちの話。かなり奇想天外だ。この二つの作品に使った音楽の一部が、ソワカちゃんシリーズに転用されている(文末〈メモ〉参照)。
出演者は、プロともアマともつかない人たち。みな演劇では食えていない。照明は知り合いの大学演劇サークルのスタッフ、音響は最初はkihirohitoさんが手がけ、後にプロに格安で依頼した。
そのような条件で、演劇未経験者が作る芝居だったため、完成度は望むべくもなかった。
「脚本が拙劣、現実の人間が演じることへの考慮が足りていない、悪い意味でマンガ的だった」とkihirohitoさんはいう。「この場面はリアルに目玉が飛び出ないと無理とか」
演劇制作は多人数の共同作業で、稽古にも時間を取られる。kihirohitoさんも本業との両立が難しくなり、それ以上続けることはできなかった。
ただ、手応えはあった。
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