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ナント三大陸映画祭・芸術ディレクター、ジェローム・バロン氏に聞く

「世界一と言ってもよい豊かな映画文化をもつ日本は協働を望む国の筆頭です」

林瑞絵 フリーライター、映画ジャーナリスト

 フランス西部、ロワール地方最大の港町ナント。ここで1979年からアジア、アフリカ、ラテン・アメリカの秀作を紹介する「ナント三大陸映画祭」が開催されている。アッバス・キアロスタミ(イラン)、ホウ・シャオシェン(台湾)、アピチャッポン・ウィーラセタクン(タイ)、スレイマン・シセ(マリ)らの作品を世界に先がけて紹介、三大陸の監督たちが世界航海の旅に出る港の役割を果たしてきた。

 2020年はロックダウンと重なりインターネット開催に甘んじたが、43回目の2021年はリアル開催に戻った。新型コロナウイルス変異株の出現や感染拡大が報道されるなか、11月19日から28日までの10日間、映画を愛する市民の歓声を背景に祭典は完走を果たした。

 今年は最高賞に濱口竜介監督の『偶然と想像』が最高賞の「金の気球賞」と観客賞をW受賞。さらに松竹へのオマージュ企画「松竹の100年」など日本の存在感が大きくなった。こうした映画祭の裏側について、芸術ディレクターを務めるジェローム・バロン氏に聞いた(インタビューは映画祭後半の11月25日に行った)。

第43回ナント三大陸映画祭開会式の芸術ディレクターのジェローム・バロンさん=撮影・筆者第43回ナント三大陸映画祭の開会式で挨拶する芸術ディレクターのジェローム・バロンさん=撮影・筆者

──インターネット開催を経て映画祭が劇場に戻ってきました。ディレクターとしてはどんな心境ですか。不安感あるいは安堵感でしょうか。

バロン 開催できた満足感や喜びが、不安感よりずっと大きいです。もちろん状況を観察しながら観客やスタッフ、映画祭の運営に影響が出ないよう気をつけて動いています。昨年から準備していた「松竹の100年」特集は、延期してでもやりたいと松竹に相談していたので、無事に実現できて感無量です。

──松竹創業が1920年ということで、区切りのオマージュ企画ですね。小津安二郎、溝口健二、清水宏、木下恵介、五社英雄、篠田正浩、山田洋次など巨匠の作品が並びます。日本でもなかなか見られない古い作品がありました。

バロン 私は日本の映画会社が好きで、2011年も日活100周年特集を行いました。松竹作品は昨年の企画段階より数を増やし全部で27本。松竹映画は日本の歴史、とりわけ複数形の日本人たちの人生がスクリーンにありありと投影されているのを感じます。

会場には松竹映画のポスター掲示も=撮影・筆者会場には松竹映画のポスターも掲示された=撮影・筆者
松竹映画の大型写真が目を引いた=撮影・筆者松竹映画の大型写真が目を引いた=撮影・筆者

──16ミリや35ミリフィルムの上映が多かったですね。溝口健二の『折鶴お千』、木下恵介の『大曾根家の朝(あした)』などは16ミリフィルムのカタカタ音とともに鑑賞し、ナマモノとしての映画体験を存分に楽しみました。フィルムでの鑑賞は今や贅沢な体験だとも思わされました。

バロン 製作当時のオリジナルのフォーマットであるフィルムが残っている場合、なるべくそれを使うことにこだわりました。当時の観客が見て楽しんでいた環境と近づけたいからです。今はデジタル化が進み映像も美しくなりましたが、それでも私たちはフィルムを優先させたのです。

日本とのプロジェクトが企画中

メイン会場の映画館「カトルザ」は1920年創業。ナント出身のジャンク・ドゥミ監督が愛した映画館でもある=撮影・筆者メイン会場の映画館「カトルザ」は1920年創業。幼少期からナントで暮らしたジャック・ドゥミ監督が愛した映画館でもある=撮影・筆者
「松竹の100年」特集の会場となった「ル・シネマトグラフ」は1908年創業で、ナントで一番の老舗映画館=撮影・筆者「松竹の100年」特集の会場となった映画館「ル・シネマトグラフ」は1908年創業、ナントで一番の老舗=撮影・筆者

──今年はコンペティション部門に8本の作品があります。日本、香港、レバノン、ボリビア、インドネシアが1本ずつ、そしてインド映画が3本ありました。

バロン 新しいインド映画の盛り上がりが見られました。とはいえインドは広い国で、それぞれ違う地域から来た作品です。スタイルも美的な表現も異なります。彼らのうち一人は長編3作目で経験のある監督、残る二人は初長編の監督でした(筆者注:結局この二人の初長編監督作品、ナテシュ・へグドの『PEDRO』とイルファナ・マジュンダの『SHANKAR'S FAIRIES』が、次点の「銀の気球賞」を同時受賞)。思い返せば過去にも日本や中国の映画が3本ずつコンペ入りした年もありました。良作なら同じ国の作品が3本入ってもよいと私は考えます。

──近年この国が強い、などなんらかの傾向はありますか。

バロン コロナ禍でもあり全体的な傾向を見極めるのは難しいです。好調だと思っていても、状況はすぐに変化するのです。例えばイラン。豊かな映画文化を持つ国ですが、近年は経済や検閲の問題の煽りを受けています。アフリカも依然として厳しい状況。しかし私たちの映画祭は20年前から「Produire au Sud 南方で製作する」というプロ向けのワークショップを立ち上げ、監督とプロデューサーを招き映画製作を支援してきました。それで今年はその20年目を祝う特集上映を実施、「Produire au Sud」が支えたアイシャ・マッキーのドキュメンタリー『Zinder』を開会式で上映しました。ニジェール出身のアイシャは映画の完成のため並々ならぬ努力をしましたが、現在本作は国際的なキャリアを歩んでいます。

──「Produire au Sud」は今を時めくアピチャッポン・ウィーラセタクンの初監督作品『真昼の不思議な物体』や、東京国際映画祭で話題となりアカデミー賞外国語映画賞でフィリピン代表にもなったミカイル・レッドの『バードショット』を支援するなど、世界映画に大きな貢献をしてきました。2014年からはインド、イスラエル、モロッコ、南アフリカ、タイ、台湾など海外にも活動拠点を広げています。しかし、なぜ日本には拠点がないのでしょう? 共同製作のノウハウを知りたい日本の映画人は大勢いるので、ぜひ日本との協働を検討してほしいです。

バロン まだ詳細は言えないのですが、実は現在日本とのプロジェクトも企画中です。2022年から23年にかけ、最初のコラボレーション企画を発表できそうです。私は世界一と言ってもよい日本の映画文化の豊かさをよく知っています。日本は

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