必見! 濱口竜介『偶然と想像』(上)──偶然の不思議さを活写
藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師
今年(2021)の夏、長編『ドライブ・マイ・カー』が公開され、大きな話題を呼んだ濱口竜介監督の新作、『偶然と想像』が早くも封切られる。3つの中編からなる連作映画だが、秀逸ながらやや冗長に流れた前作に比べて、このオムニバスは紛れもない傑作だ(2021年、第71回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)。

『偶然と想像』 2021年12月17日(金)より「Bunkamuraル・シネマ」ほか全国ロードショー 配給:Incline LLP 配給協力:コピアポア・フィルム
タイトルが示唆するように、<偶然>というモチーフに霊感を得た濱口の想像力がいかんなく発揮され、3つの独立した中編として見事に結晶しているが、そもそも、映画や小説の物語は多くの場合、なんらかの<偶然>を必要とする。それなしには、物語が進行しえないからであり、映画や小説では、しばしば<偶然>の出来事──出会いであれ、事件の発生であれ、天候の急変であれ──が物語の発端となる。そして本当らしさ/リアリズムへの配慮ゆえ、それらの<偶然>は、なるべく目立たぬように描かれる。
しかしながら、『偶然と想像』の濱口竜介は、その逆をいく。本当らしさという映画の約束事を、あえて大胆に踏み外し、意図的に<偶然>を<偶然>として露出させるのだ。にもかかわらず本作では、濱口がインスパイアされたというエリック・ロメール監督(仏、後出)の映画さながらに、いやロメールよりさらに辛辣かつ滑稽に、そしてドラマティックに、<偶然>のもたらす悲喜劇が活写される。まったくもって、<偶然>をめぐるリアルとアンリアルとを同時に成立させる、濱口のアクロバティックな演出には唸らされるが、今回は第一話のプロット(脚本は濱口自身が執筆)、および人物設定、演技設計、心理描写、撮影の妙について述べたい(ネタバレなし。第二話、第三話については次回に述べる)。