2021年12月17日
必見! 濱口竜介『偶然と想像』(上)──偶然の不思議さを活写
今回は前回に引き続き、濱口竜介監督の傑作『偶然と想像』の第二話、第三話について論じたい(ネタバレなし)。
第二話は、芥川賞を受賞した50代の大学教授・瀬川(渋川清彦)に落第させられた男子学生・佐々木(甲斐翔真)が、逆恨みから瀬川を色仕掛けで陥れようとする顛末を描く。まったく先の読めない展開や、人間の微妙な心の動き(心理)を、非心理主義──感情や思いを表情や語気のアクセント以外のもので表す映画手法──で表象する濱口演出が冴えわたる、まさに絶品と呼ぶべき一編だ。
佐々木は瀬川にくだんのトラップを仕掛けるために、セフレである美人で既婚の女子学生・奈緒(森郁月)を瀬川の研究室に差し向ける。瀬川の芥川賞受賞作を携え、サインを求めるという口実のもとに奈緒がやって来ると、謹厳実直そうな瀬川教授は研究室のドアを開けたままにする。むろん、多くの大学で現在なされている、失笑すべきセクハラ防止策であるが、開かれたドアの向こうを学生たちが通り過ぎ、彼、彼女らの話し声がノイズとして響くという状況ゆえに、かえってその場面の視聴覚的サスペンスは高まる。
誘惑者・奈緒は、ドアを閉めて研究室を<私的>な密室と化さねばならないが、瀬川にとってそこは<公的>な場所であらねばならない。いわば、大学の研究室という場所をめぐる、<私(秘)的=プライベート>なものと<公的=パブリック>なものとのせめぎ合い。それはゾクゾクするような空間的サスペンスを生むが、その後、奈緒の手によって閉められたドアを、瀬川は妙におずおずとした仕草でふたたび開ける、といったぐあいに、第二話はタイトルに暗示されるように、<扉の開閉をめぐるサスペンス>でもある。
ともかく研究室という聖域(?)で、性的に放縦な自分を、意志の弱い女としてネガティブに自己分析し、また自らの「自己肯定感」の低さについて喋り、瀬川の小説中の、睾丸、ペニス、勃起、射精などの語彙が頻出する濡れ場──これはまさしく瀬川の<想像力>による描写──を、むろん濱口の演技設計に即して、淡々と棒読み風に朗読したりする奈緒が、当初の思惑から徐々にズレていく心の動きを見せ、また瀬川の心にも大きな変化が起こるなど、第二話の展開は巧緻を極める(<朗読>も濱口の偏愛するモチーフだが、『ドライブ・マイ・カー』では濱口の演技設計そのものである、感情を込めない脚本読みが演劇のリハーサルという形でえんえんと展開された)。
そして、この中編の妙味は、瀬川と奈緒が交わすスリリングな言葉のやりとりを、濱口ならではの抑制されたトーンで描くところにある(もっとも後半で奈緒は、声を震わせ、やや感情を込めた口調になり、ドラマには効果的なメリハリがつけられる)。
ところで、自分をネガティブに分析する奈緒は、瀬川に対し、わたしには先生が持っている、社会に認められるような才能が何ひとつない、わたしはいまだ何者でもない、わたしはそんな自分自身をうまく愛せない、といった意味のことを語る。それに対し瀬川は、あなた(奈緒)には常識の外で思考し行動できる強さがある、と応答し、これまでの彼自身の、色恋には縁のなかった孤独な人生について静かに語る。
いうまでもなく、そこでの瀬川と奈緒は、自分と相手を互いに分析しあい、カウンセラーとクライアントを交互に演じあう“相互カウンセリング”を行なう。前述のように、すぐれて濱口的なシーンである。そしてこの中編は、“相互カウンセリング”のモチーフに、教師─学生間の力関係を危うくする<誘惑>という主題が絡み、やがて驚くべきアクシデント=偶然によって予想外の方向に転がっていく。なんとも息詰まる展開だ。
ちなみに奈緒は、ファム・ファタールではないにせよ、容姿に恵まれた自分が誘惑者としての力を持っていることを、つまり男の性的対象になり、男に対し(力関係において)いっとき優位に立ちうることを、意識/無意識の中では疑っていない。その点でのみ、奈緒はかろうじて自尊心を保っている。むろん、その自尊は卑下と表裏一体なのだが。
撮り方の点では、斜めの位置(直角構図)で椅子に座った瀬川と奈緒を、あたかも二人が正対しているかのように、突然顔の正面ショットで交互に写す、いくぶん小津安二郎的な切り返し/視線描写が、異様な印象を放つ(顔の正面ショットの効果的な挿入は、もとより濱口竜介や彼の師匠・黒沢清が得意とする画法だ)。<星取り評:★★★★★+★>
高校の同窓会で仙台にやってきた夏子(占部房子)があや(河井青葉)と20年ぶりに偶然街で再会する。あやの家であれこれ思い出話をし、近況を述べあう二人。が、やがて夏子は、あやの口から思いがけない言葉を聞かされ、動揺する……。これまた、プロットの二転三転に驚かされると同時に、二人の女性のやりとりが、誰しも覚えがあるだろう人間関係の機微に触れてくる──痒いところに手がとどくように!──、なんとも味わい深い小傑作だ。
とりわけ二人の女性が、相手との距離を用心深く測りつつ、話の接点を探るべく“ジャブの打ち合い”的な会話をしながら、ある瞬間にすっと相手の内側に踏み込むところ
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