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初音ミク「護法少女ソワカちゃん」(下)ファンたちの白熱〜奇跡の3カ月(18)

「ソワカちゃんに出逢って人生が変わった」

丹治吉順 朝日新聞記者

第17回「護法少女ソワカちゃん、物語シリーズの幕開け(上)」から続く

「メリークリスマス in お寺 護法少女ソワカちゃん」(本記事の公開日に合わせて)
〈読者の皆さまへ〉初音ミクの登場から14年以上過ぎ、当時の記録の多くが散逸または追跡困難になっています。公開当時注目された作品でも、削除または非公開になっていたりします。当時を知る方々の記憶以外、たどり着けない出来事も多々あります。そうした記憶を、記事の「コメント欄」に記入していただけないでしょうか。

関連する回にお書きいただくのが理想的ではありますが、「この回には関係ないが、ふと思い出した」ことを閲覧中の回のコメント欄に書き込んでいただいてもかまいません。当時の言葉でいう「スレ違いのカキコ」に当たるものです。初音ミクとボーカロイド、歌声合成ソフトの文化は、そうした集合知の文化でもありました。

とはいえ今回は引き続き「護法少女ソワカちゃん」の話題です。「ソワカちゃん」シリーズのファンは、当時の初音ミクファンの主流層とはやや異なった文脈にあったと考えられ、いわゆる「ミク本流」の方々の知らないことがたくさんあります。筆者の書く内容も、誤りや不完全な部分がいろいろあると思います。そうした点も、ぜひともコメント欄で補っていただけないでしょうか。

また、今回のテーマの一つである「ソワカちゃんに出逢って人生が変わった」という方の体験談も大歓迎です。

本文中で触れるWikiサイト「ソワカちゃん疏鈔」ではありませんが、この連載は、皆さまの集合知を期待している面が多くあります。よろしくお願いいたします。

「ソワカちゃんが人生を変えた」

「ソワカちゃんに出逢って人生が変わった」と語る一人は、ハンドルネームSaltyDogこと塩崎省吾さんだ。

塩崎さんが「ソワカちゃん」シリーズを知ったのは2007年10月下旬ごろ。ニコニコ動画の「ミクオリジナル曲」のタグをチェックしていて気がついた。連載第16回で触れたタグの機能が有効に働いた例の一つだ。「初音ミク」や「ミクオリジナル曲」といったタグ(リンク)が作る緊密なネットワークが、黎明期のコミュニティ作りにどれほど有効だったか、それはいくら強調してもしすぎることはない。

「ソワカちゃん」シリーズ第1作「護法少女ソワカちゃん」を塩崎さんが視聴していると、動画内に登場する謎のイケメン小波旬についての視聴者コメントに、元ネタがあるとの指摘があった。

そこからふと、動画の冒頭(開始から13秒ごろ)で身も蓋もない殺され方をしているソワカちゃんの父親の死に様(下の画像)にも元ネタがあるのでは?と考えた。

ソワカちゃんの父親の死に様。とんでもない姿だが、驚くべきところに元のモチーフがあった拡大ソワカちゃんの父親の死に様。とんでもない姿だが、驚くべきところに元のモチーフがあった

これが当たった。画像の特徴から「赤い顔」「肛門にきゅうり」などのキーワードで検索してみたところ、ノーベル賞作家・大江健三郎氏の代表作の一つ「万延元年のフットボール」に、そのものずばりの表現があった。この小説の主人公の友人が自殺した模様を描写したくだりがそれだ。自殺と他殺の違いはあるものの、それ以外は瓜二つだった。

「この夏の終りに僕の友人は朱色の塗料で頭と顔をぬりつぶし、素裸で肛門に胡瓜をさしこみ、縊死したのである」(「万延元年のフットボール」から)

これをきっかけに元ネタ探しを始めたところ、あるわあるわ、探せば探すほど見つかった。「そこから深みにハマっていきました」と振り返る。タグに続いて、視聴者コメント。ニコニコ動画の特徴的な機能は、このように要所要所で人々を結びつける役割を果たしていた。

当時、ファンや作者たちの情報交換の場の一つが、会員制SNSのmixiだった。mixiにはすでにソワカちゃんコミュニティも出来上がっており、新作が投稿されるたびに盛り上がっていた。塩崎さんは11月1日にこのコミュニティに参加した。


筆者

丹治吉順

丹治吉順(たんじよしのぶ) 朝日新聞記者

1987年入社。東京・西部本社学芸部、アエラ編集部、ASAHIパソコン編集部、be編集部などを経て、現在、オピニオン編集部・論座編集部。機能不全家庭(児童虐待)、ITを主に取材。「文化・暮らし・若者」と「技術」の関係に関心を持つ。現在追跡中の主な技術ジャンルは、AI、VR/AR、5Gなど。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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