横尾忠則の楽しい妄想、現在も通用する「民藝」の美学・哲学・行動力
「GENKYO 横尾忠則」は彼の始まりから現在まで600点以上の作品の質量に圧倒された。副題は「原郷から幻郷へ、そして現況は?」でGENKYOはその3つを指す。60年代のグラフィック・デザイナー時代のポスターを3段がけでびっしり見せるかと思うと、アンリ・ルソーの絵画の膨大な数の模写が並ぶ。

《滝のインスタレーション》=「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」(東京都現代美術館)
《滝のインスタレーション》は滝の絵ハガキを天井まで並べた部屋。「地球の中心への旅」や「死者の書」では彼の妄想の源である冒険小説、絵本、江戸川乱歩、戦争、家族といった記憶が歪みながら、交じり合う。あらゆる「引用」が行き来して彼の妄想に付き合うのが楽しくなる。ピカソを中心にデュシャンやベラスケスなどの西洋美術史も透けて見える。そして最後の「原郷の森」に家族と寒山拾得がいた。

「寒山拾得」の連作
「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」は、バーナード・リーチや河井寛次郎の陶芸や芹沢銈介の染織などの作品だけでなく、その思想的背景や社会的活動の面に力点が置かれた点が新しい。中心となる柳宗悦は武者小路実篤や志賀直哉らの「白樺派」に属しており、その縁で朝鮮半島の白磁や民画を知る。それが大正時代から昭和初年にかけての全国的な鉄道網の発達による旅行ブームに乗って、国内の探索へ向かう。

500件を超える工芸品の産地を示した、全長13メートル超の「日本民藝地図(現在之日本民藝)」=「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」(東京国立近代美術館)
会場には壁一面に横10メートル以上の日本地図があり、彼らが見つけた全国の「民藝」作品がその手前に展示されていた。柳たちは古い民藝作品を探し出すだけではなく、新作民藝の制作を進める。それらは鳥取の「たくみ工藝店」を始めとして京都や東京にもショップを作って売られた。さらに、1931年には雑誌『工藝』を発刊し、各地の民藝を写真入りで紹介する。彼らの美学や哲学や行動力は現在にも通用すると思った。

雑誌『工藝』