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[2021年 本ベスト5]理解し合わなくてはいけない相手をめぐって

韓国、障害者、トランスジェンダー、地域……

福嶋聡 MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店

 今年6月に刊行された『長東(チャンドン)日誌──在日韓国人政治犯・李哲の獄中記』(東方出版)の著者、李哲(イ・チョル)は、1948年10月熊本県生まれの在日韓国人2世で、中央大学卒業後、「半日本人」のような自分を抜け出て真の韓国人としての主体性を回復せんと、1973年に高麗大学大学院に留学する。

李哲『長東(チャンドン)日誌── 在日韓国人政治犯・李哲の獄中記』(東方出版)李哲『長東日誌──在日韓国人政治犯・李哲の獄中記』(東方出版)
 ところが、北朝鮮との緊張関係の中、75年末、李哲は、韓国中央情報部によってスパイ容疑で逮捕される。長く厳しい取り調べ・拷問の末、李哲はありもしない罪を自白し77年に冤罪による死刑が確定、拘置所で出会った人々が次々と処刑されていく中、13年もの獄中生活を送ることになった(1979年無期刑に、81年20年刑に減刑)。

 今、李哲は、「本当に、恨みは感じていないのです」と言う。「獄中生活を送らなかったら、韓国をこれほど深く知ることはできなかったでしょうから」。

 獄で出会った、韓国社会最底辺の人たち一人一人から貴重な韓国民衆現代史を学んだ李哲は、思いがけずも獄の中で、「韓国人として真の主体性の回復」という、留学当初の目的を果たしたのである。

 やがて李哲は、理不尽で過酷な処遇に怒りを爆発させ、仲間たちと共に獄中闘争へと挑んでいく。獄中の李哲を支え奮い立たせたのは、婚約者閔香叔(ミンヒャンスク)であった。自身も2年半の服役を強いられた後、彼女は李哲を救い出すために奔走、獄中闘争では「塀の外」で重要な役割を果たす。出所後「13年間も待たせて、ごめん」と言う李哲に、閔香叔は、「私は、13年間あなたを待っていたのではない。13年かけてあなたを取り戻したのよ」と応えた。

 李哲が仮釈放で出所したのは、1988年10月。1987年に長きに亘った軍事政権にようやく終止符が打たれた翌年であった。その頃日本は、ひたすら経済発展に勤しみ、仮初めの繁栄を「謳歌」していた……。

再審無罪が決定した際の写真の前で語りあう李哲さん(左)と妻の閔香淑さん=2021年6月10日、大阪市天王寺区
李哲さん(左)と妻の閔香淑さん=2021年6月10日、大阪市天王寺区

 無条件降伏した日本が、皮肉にもアメリカの全面的進駐と占領政策によって国土の分断を免れ、早々に民主化と経済成長の道を歩み始めたのに対し、韓国は「解放」後すぐに祖国を分断され、世界を二分する「東西冷戦」の「熱戦」化(朝鮮戦争)の舞台となって軍事政権を戴かざるを得ず、それにより韓国の民主化は、日本よりも半世紀近く遅れた。そのタイムラグが、今日に至るまで、従軍慰安婦や徴用工問題などをめぐっての両国の行き違いの原因なのだ。

50年前の韓国軍による戦争犯罪を掘り起こす

 「東西冷戦」のもう一つの大きな「熱戦」化である10余年後の「ベトナム戦争」にも、韓国は深く関わっている。当時の朴正煕大統領は、ベトナム戦争に5万人の軍隊を派遣した。ソ連が支援する「北」、アメリカが支援する「南」という構図は、朝鮮半島とまったく同じだったからだ。ベトナム戦争と未だ休戦中で終わりを迎えていない朝鮮戦争とは、地続きだったのである。実際、1968年1月、ベトナム戦争の真っ只中に、北朝鮮の武装特殊部隊31人が青瓦台を襲撃するという事件が起きている。

 その3週間後の2月12日、大韓民国海兵隊第二旅団(青龍部隊)第一大隊第一中隊による、南ベトナムクアンナム省フォンニ・フォンニャット村の住民虐殺事件が起こる。『ベトナム戦争と韓国、そして1968』(平井一臣ほか訳、人文書院)は、ハンギョレ新聞記者コ・ギョンテが、半世紀前の事件の生存者を粘り強く探し出して取材を重ね、「74人の民間人が南朝鮮の軍人から虐殺された」(フォン二・フォン二ヤット村入り口にあるガジュマルの木の前に設けられた慰霊碑)とされるこの事件の真相を、埋もれた歴史の中から掘り起こした労作である。

コ・ギョンテ『ベトナム戦争と韓国、そして1968』(平井一臣ほか訳、人文書院)コ・ギョンテ『ベトナム戦争と韓国、そして1968』(平井一臣ほか訳、人文書院)
 韓国軍兵士たちは、村に潜むベトコンの発見、殲滅に血眼だったのかもしれない。あるいは「戦友たちの死を目の前にして、理性を失ったまま手当り次第に民間人に向かって発砲することもないわけではない」。しかし、交戦地域においても民間人の虐殺は、ジュネーブ条約違反の戦争犯罪である。韓国軍は虐殺の事実を否定した。が、真実は、いつか顕れる。

 20世紀の最後の年、コ・ギョンテの電話を受けた当事者の小隊長は、「あー、30年以上も過ぎたあの日が、結局は世間に知られるのだな、と戦慄が走った」と語ったという。

 読後、コ・ギョンテのように丹念にかつ誠実に自国の戦争犯罪を掘り起こそうとするジャーナリストが、今の日本にいるだろうか

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