福嶋聡(ふくしま・あきら) MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店
1959年生まれ。京都大学文学部哲学科卒。1982年、ジュンク堂書店入社。サンパル店(神戸)、京都店、仙台店、池袋本店、難波店店長などを経て、現在、MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店に勤務。著書に『希望の書店論』(人文書院)、『劇場としての書店』(新評論)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
韓国、障害者、トランスジェンダー、地域……
今年6月に刊行された『長東(チャンドン)日誌──在日韓国人政治犯・李哲の獄中記』(東方出版)の著者、李哲(イ・チョル)は、1948年10月熊本県生まれの在日韓国人2世で、中央大学卒業後、「半日本人」のような自分を抜け出て真の韓国人としての主体性を回復せんと、1973年に高麗大学大学院に留学する。
ところが、北朝鮮との緊張関係の中、75年末、李哲は、韓国中央情報部によってスパイ容疑で逮捕される。長く厳しい取り調べ・拷問の末、李哲はありもしない罪を自白し77年に冤罪による死刑が確定、拘置所で出会った人々が次々と処刑されていく中、13年もの獄中生活を送ることになった(1979年無期刑に、81年20年刑に減刑)。
今、李哲は、「本当に、恨みは感じていないのです」と言う。「獄中生活を送らなかったら、韓国をこれほど深く知ることはできなかったでしょうから」。
獄で出会った、韓国社会最底辺の人たち一人一人から貴重な韓国民衆現代史を学んだ李哲は、思いがけずも獄の中で、「韓国人として真の主体性の回復」という、留学当初の目的を果たしたのである。
やがて李哲は、理不尽で過酷な処遇に怒りを爆発させ、仲間たちと共に獄中闘争へと挑んでいく。獄中の李哲を支え奮い立たせたのは、婚約者閔香叔(ミンヒャンスク)であった。自身も2年半の服役を強いられた後、彼女は李哲を救い出すために奔走、獄中闘争では「塀の外」で重要な役割を果たす。出所後「13年間も待たせて、ごめん」と言う李哲に、閔香叔は、「私は、13年間あなたを待っていたのではない。13年かけてあなたを取り戻したのよ」と応えた。
李哲が仮釈放で出所したのは、1988年10月。1987年に長きに亘った軍事政権にようやく終止符が打たれた翌年であった。その頃日本は、ひたすら経済発展に勤しみ、仮初めの繁栄を「謳歌」していた……。
無条件降伏した日本が、皮肉にもアメリカの全面的進駐と占領政策によって国土の分断を免れ、早々に民主化と経済成長の道を歩み始めたのに対し、韓国は「解放」後すぐに祖国を分断され、世界を二分する「東西冷戦」の「熱戦」化(朝鮮戦争)の舞台となって軍事政権を戴かざるを得ず、それにより韓国の民主化は、日本よりも半世紀近く遅れた。そのタイムラグが、今日に至るまで、従軍慰安婦や徴用工問題などをめぐっての両国の行き違いの原因なのだ。
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