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[2021年 映画ベスト5](今年も)忖度なしの本気セレクト!

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

*『いとみち』(横浜聡子)
 強い津軽弁なまりが悩みの種だった内向的な女子高生が、津軽三味線を弾くことでアイデンティティを見つけるまでを、感動的かつユーモラスに描く成長物語の傑作。ヒロインの居場所となる、青森のメイド喫茶のユニークな面々の造形、そして自由闊達な物語の運びに、横浜聡子の稀有な演出力、脚本力が全開。頂上に雲のかかった裾広がりの岩木山のロングショットも、息をのむ美しさだ。見終わったあと、人間には結局、長い時間をかけたものしか身につかないのだ、としみじみ思った。(2021・07・13の本欄参照)

『いとみち』(横浜聡子監督) ©2021『いとみち』製作委員会『いとみち』(横浜聡子監督) ©2021『いとみち』製作委員会

*『偶然と想像』(濱口竜介)
 <偶然>のもたらす<運命>と<想像>というモチーフが、それぞれ独立した三つの中編に見事に結実している絶品。『いとみち』と並んで本年のベストワンだが、役者たちが淡々とした口調で口にするセリフが、ハッとするような強度を放つ。濱口映画の重要なテーマである、探り探りの会話で相手との距離を測りながら、次第に心を通わせていく(あるいは逆にかえって不仲になる)というコミュニケーション/ディスコミュニケーションの描写は、いよいよ磨きがかかって恐ろしいほどだ。脚本、撮影、演技設計、編集、照明、音楽ともに文句なしのハイレベル。いったい濱口竜介はどこまで行くのか。ともかく、続編が待ち遠しい!(2021・12・16同・12・17の本欄参照)

『偶然と想像』(濱口竜介)『偶然と想像』(濱口竜介監督) ©︎2021 NEOPA/Fictive

*『ONODA 一万夜を越えて』(アルチュール・アラリ)
 日本の敗戦後もフィリピン・ルバング島に留まり、約30年にわたり愚直な“戦争”を続行した小野田寛郎の伝記フィクション映画だが、主人公の言動を英雄化するのでもなく、戯画化するのでもなく、奇妙な“異人”を観察するような絶妙な距離感で描いた逸品。青年期と壮年期を二人の俳優(遠藤雄弥・津田寛治)が演じるアイデアも効いているし、小野田に日本軍の戦陣訓とは真逆のサバイバル戦思想を吹き込んだ、陸軍中野学校の教官役のイッセー尾形の好演も光る。戦前・戦中の滅私奉公、忠君愛国イデオロギーの愚かさを、告発調ではなく、通奏低音のように響かせたアラリの演出にも感嘆。(2021・10・18の本欄参照)

©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma『ONODA 一万夜を越えて』(アルチュール・アラリ監督) ©bathysphere ‐ To Be Continued ‐ Ascent film ‐ Chipangu ‐ Frakas Productions ‐ Pandora Film Produktion ‐ Arte France Cinéma

ドキュメンタリー、ラブストーリーの傑作

*『セールスマン』(アルバート/デヴィッド・メイズルス兄弟、1969)
 低所得者向けに高額な聖書を訪問販売するセールスマンの日常を“ありのままに”記録した、ドキュメンタリー映画の傑作。キリスト教伝道を口実に、利潤追求を至上目的とする聖書会社の命令に従い、客の購入意欲をかきたてるような話術/詐術を弄するセールスマンたちの姿に、資本主義の歪み──現在の私たちもその渦中にある──が浮き彫りにされ、複雑な思いになる(本作を観た日に、テニスショップの店員さんのセールストークに乗せられ、新モデルのラケットを買ってしまった私は、じつに身につまされた)。むろん、あらゆるドキュメンタリーがそうであるように、「ダイレクトシネマ」と呼ばれるメイズルス兄弟の映画にも、劇映画とは異なる劇化=演出が施されており、“ありのまま”がカメラの前で再演されている点も肝だが、本作は製作からおよそ50年の時を経てようやく日本初公開された(@東京・下高井戸シネマ)。

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