2021年9月に開催された福井県の高校演劇祭に参加した12校のうち、原発問題などへの言及がある県立福井農林高校の「明日のハナコ」だけが、地元ケーブルテレビで放送されず、一時は台本の回収などが行われた。こうした措置に対して、劇の作者で同校演劇部の元顧問である玉村徹氏、劇作・演出家で日本劇作家協会言論表現委員を務める鈴江俊郎氏らが、「表現の自由」の点から問題を提起し、委員会を作って作品の上演や学習会、ネット署名などの活動を展開している。上演を見た中沢けいさんが考える。
還暦男性が演じる「女子高校生」に引き込まれた
12月12日、福井市のフェニックス・プラザ小ホールで上演された「明日のハナコ」を見てきた。作者の玉村徹氏、演出家の鈴江俊郎氏を中心にしたリーディング上演という形式だった。
ホール中央に段ボール箱を重ねたステージがあり、観客は出演者を取り囲むように円形に座る。リーディング上演というのは、台本を手にして、それを読み上げながら芝居が進む形式で、単純な朗読ともまた違うこの形式の芝居を私は初めてみた。

玉村徹、鈴江俊郎の両氏が出演した「明日のハナコ」リーディング上演=2021年12月12日、福井市
もともと高校演劇祭で女子高校生が演じるために書き下ろされた芝居を、私と同世代の男性が演じたらどうなるのかという不安めいたものはあった。私も還暦で、私の同級生たちもそれぞれに定年とか定年延長などの話題が出る年頃になっている。「明日のハナコ」の作者である玉村さんも、高校演劇をながく指導されてきたが、定年を迎えられたとのことだった。演出家の鈴江さんの年齢は伺っていないがお話しぶりからすると、同じくらいかなと推察される。
平たく言うと現代の女子高校生が演じることを前提にかかれた戯曲を還暦前後のおじさんたちが演じたらどうなるのかという不安である。しかし、その不安はまったくの杞憂だった。
太宰治に「女生徒」という作品がある。発表は1939年で、ちょうど第2次世界大戦が勃発した頃の作品で、当時の女生徒の喋り言葉をたくみに用いている。それから80年以上が経過した現在では高校生の話し言葉から男女の区別は少なくなっている。現代の高校生の話し言葉は昔風に言えばユニセックスだ。だから「明日のハナコ」では太宰治の「女生徒」を男性が朗読するような違和感は生まれようがない。
話の弾み方、テンポ、ノリは日頃、高校生に接しているお二人だけに、生き生きとしたものだった。毎年、春になると高校を卒業したばかりの新入生が大学へ入ってくるが、その様子を彷彿とさせる演技に引き込まれた。