2022年01月04日
「2人に1人ががんになる時代」とよく言われる。本当なのか。国立がん研究センター(以下がんセンター)のホームページを見ると、次のように記載されている。
●日本人が一生のうちにがんと診断される確率は(2018年データに基づく)
男性65.0%(2人に1人)
女性50.2%(2人に1人)
●日本人ががんで死亡する確率は(2019年のデータに基づく)
男性26.7%(4人に1人)
女性17.8%(6人に1人)
著者の金田信一郎さんは、日経ビジネスや日経新聞で記者として活躍し、2019年からフリーになったジャーナリスト。転身した直後の翌年、ステージ2~3の食道がんであることが発覚する。
地元のクリニックから紹介されたのは東大病院。しかしそこで提示された治療法やあいまいな説明に疑問を抱き、資料を読み込み、専門家に話を聞く。そして千葉県にあるがんセンター東病院へ転院することを選ぶ。
転院先では手術と抗がん剤での治療を提示されるのだが、再び疑問を抱く。手術はダメージの大きな手術であり、術後に思うように仕事ができなくなるのではないか? そこでまた、さまざまな手段で治療法を取材し、手術を行わず、放射線治療を自ら選択。寛解、退院に至るまでが日記形式で綴られている。
本書のサブタイトルは「崖っぷちから自分に合う医療を探し当てたジャーナリストの闘病記」。闘病記であることは確かだが、そのカテゴリーでは収まらない。見えない答えを探して悪戦苦闘する著者の冒険記であり、なにより、私自身ががんに罹患したらどう生きるのか、どう生きたいのかを、自然と突きつけられる本でもある。
私は、金田さんがフリーになったタイミングでお会いしていた。とある知人が「おもしろい人がいる」と紹介してくれたのだ。
金田さんは会社員時代、アメリカにも駐在し、マイケル・ジャクソンや3Mなど、独自のテーマを見つけ出して取材していたという。そのときのエピソードやフリーになったいきさつ、今後取材したいテーマ、オリジナルのウェブサイトの構想などなど、第一線のジャーナリストならではの話題の豊富さで、新宿のカフェで2時間近く話し込んだ。
それから半年ほど経った2020年の春、食道がんだというメールをもらった。驚いて返信すると、しばらく入院して抗がん剤治療を受けることになりそうだ、と返ってきた。それから1年と少し過ぎた2021年7月、すでに退院しており、本を刊行するという連絡をいただいた。
退院と新著の刊行を心からうれしく思い、さっそく購入したものの、なかなか開くことができなかった。恥を忍んで告白すると、闘病記ジャンルが苦手だ。本の世界に没入してしまう方なので、治療の苦しみや死への恐怖が描かれていると、しばらくとらわれてしまうのだ。
しばらくして、近いジャンルの書籍を担当することになり、読むことにした。
結構な厚さだが、1ページ目を開いてから、一気読みだった。闘病がテーマとはいえ、ジャーナリストならでは、自分を客観視して描いており、治療や検査の苦しさや辛い心情の吐露には抑制が効いていると感じた。その分、描かれた心象風景が印象深く、読みながらその情景が浮かび上がるようだった。
そして何より、2人に1人ががんになる時代の、基本的な向き合い方を丁寧に教えてくれる。病気を知るのが怖いから、調べるのが面倒だから、素人には分かりっこないから、と医師任せにするとどうなるのか。自分はどう生きたいのかを考えることが何より大事だということを知った。
印象に残ったシーンが3つある。
1つめは金田さんの知り合いの千葉県の会社経営者とのやりとりだ。
まずちょっと想像してほしい。もし知り合いからがんに罹患し、有名大学病院で治療する、と聞いたらどう思うだろうか。「あそこなら安心。よかったね」と思うのではないだろうか。
この会社経営者はそういった権威に惑わされない。東大病院が示した治療法や医師たちの説明、やり方にもやもやを抱えていた金田さんに対し、言う。
「患者ができることは、医者と病院を選ぶことしかありません。そこは妥協なく、納得できるまでやってもいいのではないでしょうか?」
もやもやの理由は、抗がん剤治療が始まっていながらも、自分の病状が明らかにされないと感じていたことや、手術が決まったにもかかわらず、だれが執刀するかわからないことなどだ。もちろん、東大病院ならではの良さはある。最新の研究が治療に活かされており、スタッフに規律が取れていることなどだ。しかし、会社経営者からの言葉を受けて、金田さんはふたたび医者と病院を探し始める。
すると病院によって手術の内容が異なることや、得手不得手があることなどが見えてきた。食道がんの一般的な開胸手術は、肺をつぶして肋骨を折った上で、食道を切り取り、咽頭と胃をつなぐという方法だ。体へのダメージは相当大きい。開胸せず、ロボットや腹腔鏡による手術を行うところもある(東大病院もロボット手術を行う)。
手術数も重要だ。食道がんでいえば、東大病院の手術数はトップ施設の3分の1程度。金田さんはこう記している。
世間の評価は別にしても、「行くべき病院」ではないのかもしれない。少なくとも、客観的な数字だけで判断すれば、そういう結論になる。(105ページ)
「有名大学病院だから安心」「偉い教授の先生にすべてお任せします」ではなくて、自分の病状を知り、治療法を知り、比較し、治療後の生活を見通して考える。何より自身が納得して、医者と患者を選ぶことが必要なのだ。
印象に残った2つ目は、金田さんが入院したときに同じ病室にいた患者のZさんとOさんだ。「お任せします」だとどうなるのか。この二人のエピソードは何よりも雄弁だ。
Zさんは放射線治療の副作用で喉を患い、胃ろうで栄養剤を注入されている。当初の予定では、口から食事ができるはずだったようだ。
「いつになったら、口から食事がとれるんだよ」
そう訴える彼に、病院側は「バイパス手術」を提案した。人工の食道を設置するというものだ。それに対してZさんは言う。
「なんか、考えていたことと違うなあ」
医師がいなくなると、Zさんは「何だよ」と声を上げて、何かを蹴り上げた。一体どこまで説明を受けていたのか。Zさんの胸中を考えるとやり切れない。
もう一人のOさんは、別の病院で胃を摘出したため食事ができなくなってしまったようだ。患者さんたちの食事の時間になると、そわそわし始め、「今日はメロンがある」「今日はうなぎです」などとつぶやく。電気をつけたり消したり、病室のドアを閉めるなどの奇行を繰り返す。
その行動を目の当たりにした金田さんは、こう記している。
たぶん、胃を全摘した後にどうなるのか、分からないままに手術を受けたのかもしれない。(中略)がんの告知で気が動転しているうちに、手術台に送られたのかもしれない。(331ページ)
食べることは、生きる基本であるだけでなく、生きる楽しみの大きな部分を占める。もし納得しないまま、覚悟のないまま食べられなくなってしまったら……あまりにもいたたまれない。
3つめが、金田さんの高校生の息子さんだ。手術と放射線治療を決めかねる父親に対して、迷いなく言う。
「僕は長く生きるよりも、自分らしく生きたいから」
ここを最初読んだときは、「10代だからこそ言えることだなぁ」とほほえましく思ったのだが、本書を読み終えてからじわじわとこの言葉が迫ってきた。
この3つ以外にも、日本の医療のおかしさや患者本位ではないところ、抗がん剤を忌避し代替医療を頼った金田さんの友人の話などもとても印象深い。巻末には東大病院とがんセンター東病院の医師のインタビューも掲載されており、サービス精神も満点だ。
本書を読み終えた私は金田さんに連絡を取り、お茶をする機会を得た。以前会ったときと変わらず、お元気そうでほっとした。
「本当に考えさせられる内容でした。それと闘病記だけど暗くならずに読めました。ジャーナリストの視点ならではですよね」
そう伝えると、
「それはぜんぜん意識してなかったですね。初めて言われました」
とおっしゃるのでおどろいた。
刊行後、患者の会や医療従事者たちから講演を頼まれることが増えたという。今の治療や医療に疑問を感じながらも、言葉にできなかった人が多くいることの証左だろう。
「昨日は○○県に行っていて、今日も都内の講演会の帰りなんです」
そんな活動ができるのも、金田さん自身が仕事のことも考えて治療を選択したからこそだ。
本書のしめくくりで記された問題提起は患者に向けてでもあり、医療界に向けてでもある。
がん治療は人生を大きく左右する。
しかし、主役たちは治療と術後を理解しているだろうか。果たして医療界は、患者それぞれの人生と、彼らの生活を、ともに考え抜いているだろうか。(385ページ)
2019年末からの新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で、コロナを怖れる日々が続いている。日本における累計の患者数は約173万人だ(厚生労働省発表、2022年1月4日現在)。単純に日本の人口で割ると、約70人に1人。日々コロナに備えるように、「2人に1人」のがんに備えているだろうか。
もし今、がんと関係ない生活ができているなら、ぜひ読んでほしい。私は家族や友人にも本書を勧めている。家族は、「久しぶりに厚い本を読んだけど面白かった」と喜んでいた。
私はどう生きたいのか。本書はその漠然とした問いに対する道しるべになってくれる。
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