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五木寛之さんが提案する「捨てない生きかた」~激動の半生から紡いだ人生哲学(上)

『捨てる』時代に少しだけ抗ってみると人生の〝下山〟が豊かになる

梓ゆかせ フリーライター

 『捨てる』ことにもてはやされるなか、作家の五木寛之さん(89)が『捨てない』という新たなライフスタイルを提案している。『下山の思想』(2011年)から10年あまり、『捨てない生きかた』(マガジンハウス)をこのほど上梓した。

 「『不要不急』と見えるモノにこそ「宝物」が隠れているのではないか。『捨てる』時代に少しだけ抗ってみることが、人生の〝下山〟を豊かにしてくれるのではないか……」。それは、今年90歳を迎える五木さんの激動の半生から紡ぎ出された人生哲学でもあった。

五木寛之さん

五木寛之(いつき・ひろゆき)
1932年福岡県出身。北朝鮮で終戦を迎え、47年引き揚げ。早大露文科中退後、編集者やルポライターを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞を受賞した。主な作品は『青春の門』『親鸞』『大河の一滴』『下山の思想』など多数。

「ガラクタ」に囲まれて回想の時間を楽しむ

 断捨離ブームは今も続いているらしい。テレビをつければ、「要らないものをどんどん捨てて、ココロもカラダもスッキリ!」なんていう特集番組をよく見かける。こうしたトレンドに五木さんは真っ向から異議を唱えているわけではない。『捨てる』とも程よいバランスを取りつつ、『捨てない生きかた』だっていいじゃないか、と提案しているのだ。

 「(断捨離は)世界的な趨勢なのでしょう。今の時代では、僕(の「捨てない生きかた」)は弱弱しい声ですよ(苦笑)。ただね、『捨てる』時代は、モノを捨てるだけではなく、命を捨てる、歴史を捨てる、といったことにつながってゆく感じがするのです。『捨てなさい』という言葉に、強迫観念に近いものを感じることはありませんか?」

 五木さんの自宅には一見「ガラクタ」に見えるモノが山のように積み上がっている、という。衣服から靴、鞄、電化製品、写真、ビデオやカセットテープ。海外旅行の土産物、果ては、血液型の証明書まで…。こうした「ガラクタ」に囲まれて豊かな回想の時間を楽しむ。

 なぜならば、「ガラクタ」には来し方の懐かしい思い出がいっぱい詰まっている。モノが「記憶」を呼び覚ます依代(よりしろ)になり、ふと孤独感に襲われたときに、持ち主の心を癒してくれるからだ。

今も着ている50年以上前のジャケット

『捨てない生きかた』(マガジンハウス)
 今回の著書には、五木さんが1952(昭和27)年、早大へ入学するため九州から上京したとき、履いていた父親の革製軍靴の話が書かれている。「サイズがぶかぶかでね、靴下を何枚も重ね履きして足を合わせました。革靴は高級品だというプライドがあって、しばらくは履き続けていましたよ」。五木さんは上京したものの、その日泊まる場所さえなく、大学近くの神社の軒下で野宿したという。

 「いわば僕は〝ホームレス大学生〟でした。大学の地下にある生協では、たばこを1本ずつバラ売りしていたし、コッペパンが10円でそこにジャムやバターをつけると15円。それが食べたくてね。そういう時期があったという記憶が甦ってきます」

 さすがに父の軍靴はもうない。だが、その後も、靴にはこだわり続け、大事にしてきた。体形が変わらないこともあって、50年以上前のジャケットを今も大事に着ているし、新聞連載用に書いた大量の〝使用済み〟生原稿も捨てられない。

それぞれの思い出がモノと結びつく

 人は、裸で生まれて「ガラクタ」に囲まれて死んでいく。人生の〝下山〟に、回想の時間を楽しむのは高齢者の特権だ。

 「記憶」は年表で思い出すのではない。それぞれの思い出がモノと結びついている。それを五木さんが強く感じたのは東日本大震災(2011年)の被災地を訪れたときだ。大津波に襲われた跡の海岸で、ある女性が懸命に探していたのは、預金通帳やカネ目のものではなく、家族の位牌だった。

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