『ジャパン アズ ナンバーワン』は、逆の意味で衝撃だった
私事で恐縮だが、私は大学に在学中の1979年の秋に、ボランティアで出演した或る芝居をきっかけに、大卒→就職という「通常の人生航路」を思い切った経験がある。60年代から続くアングラ演劇の潮流が最後の光芒を放つ一方で、身の周りにこの年に刊行されたエズラ・ヴォ―ゲル『ジャパン アズ ナンバーワン』を読む者が少なからずいた頃のことだ。

エズラ・ヴォ―ゲル『ジャパン アズ ナンバーワン』(TBSブリタニカ)
「芝居」と思い決めた一方で、「正規のルート」にも未練がましいままだった私は、今ならまだ間に合うかもと心のどこかで思い、最後に自分を試すつもりで、このベストセラーを読んだ。
内容を正しく理解したとは言えない。ただ、皮肉なことにこの本は私の「更生」にではなく、「ドロップ・アウト」に一役買うことになった。なぜなら、周りの多くの連中がこの舶来のベストセラーに勇気づけられ、日本人として自信をもらったと言うなかで、私は意気阻喪する一方だったからだ。
たとえば、日本には、小さな企業でも、必要な「情報収集」に関して繊細で持続的な努力を怠らないところが多いというプラスの評価が書いてある一方、新聞各社などは、将来有望な複数の政治家に、若いときからウマの合いそうな「おつき」の記者をあてがっておき、将来誰が宰相になってもいいように「情報収集」の備えに怠りがないといったことが書いてあった。これは本当か? マスコミは権力を監視し、ある時は戦いもするのではなかったか? これでは監視どころか、ただ「保険」をかけておくに過ぎないのではないか。
旧来の「新劇」に異を唱えたアングラ芝居は、批判や批評をする前に、本来的に舞台上で「戦う」ものとして存在した。1979年の経験で、その好戦的な精髄に触れた気分でいた若い私には、そんなことを書いてある本を捧げ持っている輩が、無邪気に身を売る気のいい悪魔の子どもに見えたのだ。彼らを前にして、「更生」など考え得べくもなかった。