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必見!『フレンチ・ディスパッチ』──奇抜な物語と厳密な形式

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 今やアメリカ映画を代表する監督の一人である、ウェス・アンダーソン(1969~)。アンダーソン映画の最大の魅力は、コメディー調の奇抜で空想的な物語が、計算し尽くされた形式で描かれる点にある。

ウェス・アンダーソン監督ウェス・アンダーソン監督
 すなわち、どんなに破天荒な物語/内容をも、厳密な形式によって制約しコントロールし、破綻なく語り切ること、それがアンダーソンの<作家性>だ。よって彼の映画においては、しばしば内容と形式の間に緊張関係が生まれ、両者の拮抗(きっこう)が映画的熱量を放つ。たとえば、活劇や惨劇やラブシーンといったヤマ場でも、描写が誇張され過剰になることを形式が抑制するように働き、いわば描写と形式との間に摩擦が起こり、かえって画面に強度をもたらすのだ。

 アンダーソンの<形式>はといえば、徹底的に作りこまれたセット空間内での、人物の正面ショット、真横からのショット、左右対称の構図、カメラあるいは人物の横移動、前進/後退移動、めまぐるしいアップテンポな編集(膨大なカット数!)、ポップな色彩設計、珍妙な機械装置、などなどだ。

 そしてそれらに律せられて、大勢の人物が織りなす多彩なシーン──おびただしい情報量が渦巻く──が、まとまりのあるストーリーとして、目もあやな高速度で展開される。また、アンダーソンの作家的特徴のひとつとして、感情をあまり顔に出さない役者たちの演技もあげられよう(その詳細については、2018・07・02同・07・05同・07・062014・07・082013・02・11同・02・12の本欄を参照されたい)。

 アンダーソン作品のそうした厳密な形式/規則は、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001)以降、いっそう顕著になるが、それは最新作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』においても、見事な完成度を示している(第10作目)。

 この舌を噛みそうな長いタイトルは、アメリカの新聞「カンザス・イヴニング・サン」の別冊で、20世紀フランスの架空の町、アンニュイ=シュール=ブラゼに編集部を構える「フレンチ・ディスパッチ」誌を指す。国際政治、犯罪、アート、カルチャー、ファッション、グルメなど幅広いトピックを、海外の有能な記者たちがユニークな視点から切り込む人気雑誌であり、購読者は50か国50万人を突破していた(「フレンチ・ディスパッチ」は、ウェス・アンダーソンが高校時代に図書館で発見した“ザ・ニューヨーカー”──1925年にハロルド・ロスが創刊したインテリ向けの雑誌──から着想された)。

『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』 全国公開中 配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.
『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』 全国公開中 配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

<いかに語るか>についての映画

『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』  © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.
『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』  © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

 物語は、「フレンチ・ディスパッチ」の創刊者であり名物編集長のアーサー・ハウイッツァー・Jr(ビル・マーレイ)の急死から始まる。彼の遺言に従って、同誌の廃刊が決まり、最終号には彼の追悼文と共に、アンニュイの街案内、および奇想天外な内容を含む3つの章/記事が掲載されることなる。

 そして、この雑誌の記事が、そのまま1つのレポート(短編)+3つのストーリーとして映像化され、オムニバス形式の映画として進行する。なんとも巧みなアイデアだが、雑誌記事の映像化という仕掛けが、さまざまなトピックを1本の映画の中に融通無碍に取り込むことを可能にしたわけだ。

 この卓抜な着想の時点で、アンダーソンは勝利をほぼ手中に収めたといっていい。これは要するに、彼が、<何を描くか/語るか>以上に、<いかに描くか/語るか>に注力している、ということだ(本作の構成は、一つの物語の中に複数の物語・語り手が存在する、という入れ子構造の物語(いわゆる枠物語)だが、これまたアンダーソンの偏愛するもので、この作風が最も複雑で眩惑的な様相を呈したのが、名作『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)だ)。

 さらに、本作が出来事を<いかに語るか>についての映画であることは、人物関係、出来事の経緯などの物語の状況、および各話のテーマが、<語り部>たる女優アンジェリカ・ヒューストンのナレーションによって観客に<報告される>点にも見てとれるし、そもそも前述のように、記者たちの取材やレポート/記事の映像化、という本作の──入れ子状の──構成そのものが、<いかに語るか/報告するか>についてのアンダーソンの強い関心を示している(“序章”である「1つのレポート」は、夕暮れ時に娼婦や男娼が出没する、アンニュイの“闇”の地域に果敢にも自転車で潜入する「自転車レポーター」(オーウェン・ウィルソン)によるルポルタージュだ)。

前衛芸術、学生運動、誘拐事件……

 アートがテーマの第1話「確固たる(コンクリートの)名作」は、美術業界の表も裏も知り尽くした辛口批評家、J・K・L・べレンセン(ティルダ・スウィントン)の記事の映像化、および彼女の講演から成るパートだ。

 この「レポート」は驚くべき内容で、裕福な生まれだが殺人を犯して50年の刑に服している、フレンチ・スプラッター派アクション絵画(!)の先駆者、モーゼス・ローゼンターラー(ベニチオ・デル・トロ)が、服役11年目に突然絵筆をとり、看守のシモーヌ(レア・セドゥ)をモデルにして彼女の“裸体画”を描き始め、稀有な画才を開花させていく経緯が描かれる。

『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』  © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.
『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』  © 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

 このパートでは、全裸のセドゥがさまざまな奇態なポーズをとるところを、アンダーソンが画面をモノクロにしてお得意の正面ショットや真横からのショットで撮るシーンに不意打ちされるが、その後

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