前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家
1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【44】「何日君再来」~ 日中戦争の最中に誕生。テレサ・テンの歌でよみがえり……
「何日君再来」1938(昭和13)年
作詞・作曲:劉雪庵
「歌は世につれ、世は歌につれ」といわれる。たしかに前段はそうかもしれないが、後段はどうだろうか。
世につれた歌が「流行り歌」になることはままある。だが、歌につれて世の中が変わるなんてことはそうはない。あったとしても、そのほとんどは「流行り歌」から現実の風俗やファッションが生まれるていどの話であって、「時の政治」を変える歌などめったにない。
わが70余年の人生をふりかえってみて、そんな“めったにない事例”として、すぐに思い浮かぶのは、PPM(ピーター・ポール&マリー)の「花はどこへ行った」、ボブ・ディランの「風に吹かれて」、サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」、そしてビートルズの「ヘイジュード」である。
前の2曲は1960年代に、アメリカ発の公民権運動とベトナム反戦運動を、世界の若者たちのあいだに伝播・浸透させた。「明日にかける橋」は、アレサ・フランクリンのカバー曲が南アフリカのアパルトヘイト撤廃運動のシンボルソングとなり、「ヘイジュード」は、1968年の“プラハの春”がソ連軍の侵攻で踏みにじられたときに、チェコの国民的歌姫マルタ・クショバが歌詞を「抵抗歌」に変えて歌い継がれ、ソ連の崩壊を受けて1990年、ようやく当地に無血の“ビロード革命”をもたらした。
そのいずれのエピソードも、私の記憶に、同時代者として印象深く刻みこまれている。
そうそう、もうひとつ、私自身の身近かに事例があった。世界でベトナム反戦運動が盛り上がった最中、日本は新宿の西口広場に出現した「フォークゲリラ」である。
当時は参加者の一人として、束の間、反戦の歌声が時代を変えるのではないかと思ったものだったが、なんのことはない、数年で泡沫の夢と消えてしまった。
しかし、そんな昔の記憶をひきよせているうちに、それらの楽曲よりも、はるかに数奇かつダイナミックに「時代と政治」を動かした歌を失念していたことに気づかされた。
それは、「何日君再来」である。
♪忘れられない あのおもがけよ
♪ああいとし君 いつまたかえる
♪何日君再来(フォーリン・チュン・ツァイライ)
戦前、日中戦争の最中の1938(昭和13)年に、上海国立音楽専科学校生だった劉雪庵が作詞・作曲し、翌年に抗日運動に挺身(ていしん)する青年を主人公にした映画の主題歌につかわれて、中国人たちの間で人気を博す。その一方で、不倶戴天(ふぐたいてん)の敵である当地の日本人向けにもカバーされ、やがて“内地”にもちこまれて空前のヒットとなった楽曲である。
その出生からして、すでに謎と矛盾に満ちたこの歌は、その後、驚くべき有為転変を繰り返して「時代の歌」となっていくのだが、本稿では、その数奇な運命にわが体験を重ねながら、検証をこころみる。