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数奇な運命に翻弄されたラブソングが動かした「時代と政治」前編

【44】「何日君再来」~ 日中戦争の最中に誕生。テレサ・テンの歌でよみがえり……

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

祖母の影響で知った「何日君再来」

 日中戦争の最中に、謎めいた生を享(う)けた「何日君再来」だが、戦後しばらくは、私たち“戦争を知らない世代”にとっては、親や祖父母たちのために時たまテレビの「懐メロ番組」で流される歌でしかなかった。そして、戦前を知る人もふくめて、日本人の口の端にこの歌がのぼることも、ほとんどなかった。

 そんな中で、同時代者でもない戦後生まれの私がこの歌に出会ったのは、祖母の影響であった。

拡大晩年の渡辺はま子さん
 「何日君再来」を日本人として初めて「いつの日君くるや」のタイトルでカバー、中国戦線の日本軍兵士をこの歌で慰問して爆発的ヒットをもたらしたとされるのは、渡辺はま子である。横浜の生まれ育ちが自慢の祖母は、その渡辺はま子が横浜の「浜(はま)」から芸名をとったことに加え、横浜高等女学校(現・横浜学園高校)の後輩でもあることから大のファンだった。

 テレビの懐メロ番組に渡辺はま子が出演すると、きまって彼女との因縁を繰り返し孫の私と妹に聞かせる。おかげで、私は「何日君再来」はもちろん、彼女の持ち歌である「支那の夜」「夜来香」などの“中国物”を今もそらんじることができる。

 しかし、それは私にとってけっして喜ばしいことではない。

「再来」する「君」とは?

 祖母は明治の生まれにしては近代的な教養の持ち主ではあったが、折に触れて、中国人と朝鮮人を“放送禁止のヘイト用語”をもって悪しざまに侮蔑。その一方で、一人息子であった私の父親が職業軍人としていかに優秀だったかを語る。事実のほどは定かではないが、天皇から「恩賜の銀時計」をもらったというのが祖母の昔語りの白眉(はくび)で、そのBGMに欠かせないのが愛唱歌の「何日君再来」だったのだ。

 しかし、私が高校に進学、祖母のくびきから離れて日本の戦中の歴史を知るようになってからは、私は祖母の昔語りをこう解釈して、もはや受け容れることはできなくなった。

 祖母にとって「何日君再来」の「君」とは、中国をふくむアジアに「王道楽土」をもたらす「盟主たる日本」であり、自慢の一人息子はその先兵として勲功をたてる、そんな時代が「再来」してほしいが、今や詮ない夢になってしまったという無念を、この歌に仮託していたのかもしれない、と。

 だからといって、祖母が特殊かつ例外的日本人だったわけではなく、程度の差はあれ、そうした思いを戦前生まれの日本人の多くは「何日君再来」に仮託していたはずである。そして、それに対して“戦争を知らない世代”が違和感をもつのも、また当然である。そう、その時の私は思っていた。

“亡国の歌”リバイバルは改革開放の副産物?

 ところが20年ほどして、それが一面的かつ平板な理解にすぎないと思い知らされる事件が起きた。中国人蔑視を内包していると思われた「何日君再来」が、中国の人々の間でリバイバルしているという報道が伝わってきたのである。

 それは、1977年に三度目の復活を果たした鄧小平が改革開放政策を打ち出してから2、3年後のことだった。当時の資料をあたっていると、折しも来日中の華国鋒首相の関連ネタで、「なぜか戦前の日本の歌が流行」の三段見出しをつけた以下の囲み記事に行きあたり、往時に引き戻された、

「〔北京二十八日共同〕華国鋒中国首相の訪間で日本中が湧きたっているが、中国主要都市の若者の間ではなぜかいま、日本軍占領時代に流行した歌『いつの日君また帰る』(中国名『何日君再来』)が爆発的人気を呼んでいる。ホテルの服務員は仕事をしながら口ずさみ、地方の幼稚園では日本人参観団を歓迎するのに、教師がこれを歌い、生徒が男女一組になって曲にあわせてダンスする光景もあるほど」(毎日新聞1980年5月29日夕刊)

 文章からも記者の驚きが伝わってくるが、当時の日本人も私も、これには大いに驚かされた。改革開放政策によって、中国の人々は戦前の日本の歌を愛唱できるほど自由になりつつあるのかと歓迎する一方で、これで「何日君再来」がもつ反中的な含意がいくらかは免罪されるかもしれないと、安堵を覚えたものだった。

 一部には、これは中国のお家芸である「上からの演出」で、「日中友好」を強化促進するためではないかといううがった見方もあったが、それは完全に違っていた。その証拠に、同上の記事は、「ところが(中国政府は)こうした現象をなげかわしいと憤っている」として、政府系の上海紙「文匯報」の「『いつの日君また帰る』とは如何なる歌か」と題する論評の要点箇所が、次のように紹介されている。

「日本帝国主義がかつて『支那の夜』や『満州娘』などの歌を利用し、中国の植民地支配に役立てようとした背景を近ごろの若者は何も知ろうとしない」
「日本は上海など大中の都市を占領後、天下太平を装い、中国人民を『毒化』させるためこれらの歌をはやらせたが、当時日本の侵略に反対する心ある人々は、『亡国の歌』として排斥していた」
「(「何日君再来」の)歌詞は『頽廃と没落の思想』を反映している」

 これは「何日君再来」のリバイバルが、中国政府の演出によるものなどではなく、中国の人々、とりわけ若者たちによる自発的・自然発生的なものであったことのまぎれもなき反証であった。

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筆者

前田和男

前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家

1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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