前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家
1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【45】「何日君再来」~ 中国の民主化運動を高揚させたテレサ・テンの歌声
もう一人の“証言者”は楊逸である。楊は劉燕子より1歳上で、旧満州(東北部)のハルビン生まれ。文化大革命で一家全員がマイナス30度の酷寒の地へ下放された体験から、「早くこの国から出たい」と天安門事件の2年前の1987年、横浜に住む伯父を頼って日本に留学。2008年に日本語を母国語としない初の芥川賞作家となった。
楊逸は劉燕子との対談の中で、初めてテレサ・テンの歌に出会ったときの衝撃について、「体がムズムズする感覚をおぼえた」といい、それを芥川賞受賞作である『時が滲む朝』の登場人物たちに仮託したと語っている。
ちなみに、『時が滲む朝』には、楊の分身とも思われる主人公の浩遠が、同じく大学新入生の志強とともに、先輩からテレサ・テンのカセットテープをはじめて聞かされたときの衝撃の心象が、次のように活写されている。
「ゴックン。歌にのめり込む志強から唾を飲み込むような音を感じ、浩遠も我慢の限界に達し、流れる甘く切ない歌声と一緒に、口の中の全てを思い切り飲み込んだ。唾は甘泉の如く、喉から全身に巡り、骨にまで泌み込んで、体中にちくちくしていた青々しいがさつな棘のような何かをやさしく撫で、無骨な青年は瞬く間に食事を堪能して一服しようとする子猫にでもなったかのように、目がとろりとした。
(略)浩遠も恥ずかしくなって志強を見ると、志強は顔から頸にかけて真っ赤になっていた。愛やら何やらの、腐敗した資本主義の情調に危うく腐食されるところだった。浩遠は逃げるようにスピーカーから離れ、ベッドからいい加減に本を一冊取って、部屋を出ようとした。志強も焦って浩遠の腕につかまって、そそくさとついて出た」
このシーンで描かれている主人公たちをどぎまぎさせる歌は「月亮代表我的心」と思われるが、先輩のカセットテープの中には当時の若者たちをもっとも熱狂させた「何日君再来」も入っていたはずであり、それらの禁断の歌が主人公たちをとりこにしていくのに時間はかからなかった。
「テレサ・テンをはじめとする香港や台湾の流行歌手の歌、みんなそれぞれ独自のルートで入手できるテープを持ち寄って聴く。外に漏れないように、音量をみんなの耳に届くぐらいまで下げ、全員が布団に入って息を潜め、高鳴る胸を抑えつつ、ひと時を享受する。三十分が終わると、眠れない長い長い夜に、何度となく甘いメロディを噛みしめて、眠ろうと頑張る。そしてそのほんのりとした幸せな気分は夢の中まで続いていく」
こうして禁断の歌との出会いが機縁となって主人公たちは「文学サロン」をつくり、民主化運動に目覚め、授業ボイコットやハンガーストライキを打ち、ついに天安門広場でのデモへと参加して大いなる挫折を味わうことになるのである。
劉燕子と楊逸の証言からもうかがえるように、天安門世代にとって“テレサ体験”はかくも強烈だった。
彼らの体験に比べると、私たちベトナム反戦世代の新宿西口フォークゲリラ体験など遠く足元にも届かないし、アメリカのフラワーチルドレンの反戦フォークソング体験も、さらには南アのアパルトヘイト撤廃運動に大きな影響をあたえた「明日に架ける橋」体験も、チェコのビロード革命をささえた若者たちの「へイジュード」体験ですらも、その衝撃力においては、及ばないであろう。
裏をかえせば、「退廃的黄色歌曲」と断罪されたテレサの歌声がなかったら、中国の民主化運動の高揚はなかったといっても過言ではない。