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『笑っていいとも!』40年──「密室芸人」タモリが抜擢された理由

[1]横澤彪が“昼の顔”としてタモリに求めた「知性」

太田省一 社会学者

『いいとも!』以前の「密室芸人」タモリ

 1945年8月生まれのタモリは今年77歳、喜寿を迎えるが、『いいとも!』終了後もテレビの第一線で活躍中だ。

 特に近年は、街歩き番組『ブラタモリ』(NHK、2008年放送開始)や深夜バラエティ『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系、1982年放送開始)で見られるように、地図・地形から料理、鉄道など多方面に詳しい博識な趣味人の代表のような存在になっている。「推し活」という言葉もあるように世の中がオタク化するなか、タモリのような趣味に生きる人生を送りたいと思っている若者も少なくないだろう。まさに「尊敬される大人」になっている。

 ただ、『いいとも!』が始まった頃のタモリに対する世間のイメージは、むしろ180度と言っていいほど違っていた。

タモリさん=1980年拡大タモリさん、34歳の頃=1980年
 当時のタモリのキャッチフレーズは、「恐怖の密室芸人」。レイバンの黒のサングラス(アイパッチということもあった)に髪はぴっちりセンター分けという姿で、ネタもイグアナの形態模写やでたらめ外国語、テレビの教養番組のパロディにハナモゲラ語(初めて聞く外国人にそう聞こえる日本語の物真似)など、一癖も二癖もあるものばかり。元々、タモリが素人時代に新宿・歌舞伎町のスナックで、ジャズピアニストの山下洋輔や漫画家の赤塚不二夫など仲間内でだけ夜な夜な披露していたもので、それゆえ「密室芸」と呼ばれていた。

 1970年代後半、タモリは、テレビやラジオに出演するようになる。だがファン層は、そのアンダーグラウンドな匂いのする芸風に敏感に反応するような、大学生など若者に限られていた。タモリのマニアックさは一般受けするものではなく、多くのテレビ視聴者から見れば、正体不明の怪しげな存在という印象が強かった。

 とはいえ、テレビにおけるタモリは、次第に存在感を増していった。

 象徴的だったのは、『ばらえてい テレビファソラシド』(NHK、1979年放送開始)への出演である。当時のNHKは、いまよりもはるかに生真面目で、タモリのような「密室芸人」とは対極にあった。だがこの番組の出演者でもある放送作家・永六輔の強い意向もあって、タモリのレギュラー出演が実現した。そこでの“真面目なNHK”を代表するアナウンサー・加賀美幸子とタモリの2人の絡みは、新しい時代を感じさせるものだった。


筆者

太田省一

太田省一(おおた・しょういち) 社会学者

1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)、『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)など。最新刊に『ニッポン男性アイドル史――一九六〇-二〇一〇年代』(近刊、青弓社)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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