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50年目の連合赤軍元兵士たち──絶対権力者の言葉の瞬発力をめぐって

深笛義也 ノンフィクションライター

 2月28日、陥落から50年──。

 長野県・軽井沢、河合楽器の保養所、あさま山荘に、管理人の妻を人質として、銃や爆弾を持った連合赤軍兵士5人が立て籠もったのが、1972年2月19日から28日まで。それから、半世紀が経った。

 加藤倫教、岩田平治、植垣康博、前澤辰昌ら、連合赤軍元兵士4人にインタビューして、『2022年の連合赤軍──50年後に語られた「それぞれの真実」』(清談社Publico)を私は上梓した。

『2022年の連合赤軍──50年後に語られた「それぞれの真実」』(清談社Publico)拡大深笛義也『2022年の連合赤軍──50年後に語られた「それぞれの真実」』(清談社Publico)
 本を出したことで、様々な人と接するようになった。「森恒夫には、キャッチコピーのセンスがあったんですね」と若者から言われた。連合赤軍の最高指導者だったのが、森。日本語にはなかった「敗北死」という言葉を作りだした、魔のコピーライター。

 71年の12月21日、群馬県の榛名山の山小屋で結成された連合赤軍は、約30名の小軍隊だった。それが5名になってしまったのは、逮捕者や逃亡者が出たほか、「総括」の名の下に12名の同志を死に至らしめていたからだ。

 最初のうちの「総括」は、机に向かって考えを深めノートに記していくというものだった。だが「総括」を求められていた、加藤能敬と小嶋和子は、もともと恋人だった。山小屋の外でキスしているところを、森に次ぐ連合赤軍ナンバー2の永田洋子に見つけられた。新党結成の場が穢された、と永田はいきり立った。

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筆者

深笛義也

深笛義也(ふかぶえ・よしなり) ノンフィクションライター

1959年、東京生まれ。10代後半から20代後半まで成田空港反対闘争を支援したが、所属していたセクトの独善に嫌気がさして決別。30代からライターになり、「週刊新潮」の連載「黒い報告書」などを執筆。著書に『女性死刑囚──十四人の黒い履歴書』(鹿砦社)、『労働貴族』(鹿砦社)、『罠──埼玉愛犬家殺人事件は日本犯罪史上最大級の大量殺人だ』(サイゾー)など

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです