2022年03月01日
容疑者と面識のない人々が多数犠牲になる、あるいはいわゆる「拡大自殺」に巻き込まれたと思われる刺傷・殺傷事件が続いている。昨年(2021年)8月の私鉄・小田急線車内での10人切り付け事件、10月の私鉄・京王線車内での18人刺傷・放火事件、11月の九州新幹線車内放火事件等……。12月には大阪の心療内科クリニックで放火事件が起き、年が明けてからは東大前で受験生ら3人への切り付け事件、埼玉県ふじみ野市で医師射殺事件が発生した。
小田急線の事件の容疑者は「電車での大量殺人を前から考えていた」と述べたとされ、京王線の事件は小田急線の事件を、九州新幹線の事件は京王線の事件をそれぞれの容疑者が参考にしていたと報じられ、事件が事件を呼ぶ連鎖の可能性も想像される。
一方で、受け止める側こそ冷静にならねば、という思いは働く。実際、日本の凶悪犯罪の件数は5年連続で減っているというデータ がある(警察庁「犯罪統計資料2021年1~12月分〈確定値〉」)。重要犯罪(殺人、強盗、放火など)の認知件数はこの5年で約2000件減少しており、うち殺人事件数は横ばいか減少傾向で推移している(2017年920件、2018年915件、2019年950件、2020年929件、2021年874件)。しかもテロを思わせる無差別殺傷事件は、何も今に始まったわけではなく、古くから国内外を問わず発生しているのだから、煽られる不安に溺れてはいけない、と自らを戒める。
目先のニュースに踊らされず、客観的事実や歴史を踏まえることが大事なのは言うまでもない。それでも、痛ましいとしか形容できない類似犯罪を続けて耳にすれば恐怖心が湧き、衝撃の大きい各事件に何かしらの因果関係を見出したくなるのは事実だ。
加えて、収束が見えないこのコロナ禍である。日常のなかで増える制約や我慢すべき事柄に対して必要以上に不満が募り、鬱屈に向かう気持ちに拍車がかかる。こうした不満や鬱屈に形を与えてくれるストーリーがあれば乗りたくなる思いが、自分にもある。
唐突ながら、次の文をご覧いただきたい。
ステップ1:恐怖心や不満を利用して、現在のシステムに疑いを抱かせる。
ステップ2:悪とみなす外集団(たとえばフェミニストやリベラル)を陰謀論と結びつけることで、社会的失敗をこの集団のせいにする。
ステップ3:既存のあらゆる問題に対し、急進的な解決策を提供する(たとえばザ・レッドピル)。
これは、イギリスにある戦略対話研究所(ISD)に籍を置く女性研究者、ユリア・エブナー(1991年ウィーン生まれ。主な研究対象はオンラインの過激主義、偽情報、ヘイトスピーチ)が「急進化のお決まりの段階」と呼ぶものだ。「ザ・レッドピル」とは、オンライン上の女性嫌悪〈ミソジニー〉コミュニティのこと。
研究結果をもとに国連やNATO(北大西洋条約機構)、世界銀行、複数の政府機関等にアドバイスすることも仕事の一環だという著者は、主にネットを通して普通の人々の急進化を煽る過激主義者たちとの関係を「ネコとネズミの追いかけっこ」になぞらえる。彼女はネコの立場にあるわけだが、その「追いかけっこ」に果てしの無さを感じ、「誰かがそのなかに入っていかなくちゃいけない」と気づいた、という。「そこでなら彼らを動かす原動力(エンジン)を観察して調べることができる」 と。
しかも過激主義者を動かすエンジンは、AIを備え、「ハイテクとハイパーソーシャルな要素を併せ持」つため、「コンピュータ通の怒れる若者たちを魅了」する。したがってそのエンジンが効果を発揮すれば、「過激主義やテロリズムの性質を根底から変えるだけでなく、現代の情報生態系(エコシステム)や民主主義のプロセスを書き換えて、市民権という人類最大の成果を帳消しにする脅威となりかねない」。このような脅威が社会に与えているインパクトを「可視化したい」ために書かれたのが、本書である。
そうしてさまざまな過激主義組織への潜入取材を敢行することで、「過激主義者がわたしたちに、どんな性質の挑戦をどれほどの規模で突きつけているか」を明るみに出している。具体的には、ネオナチ団体や白人ナショナリスト組織ジェネレーション・アイデンティティ(GI)、Qアノン、女性の反フェミニズム運動組織等に潜入し、ISIS(イラク・シリア・イスラム国)や極右の一流ハッカーたちに弟子入りし指導を受け、これらの組織や集団が国際的な拠点を築きつつある様子を紹介する。
とくに興味をそそられたのは、著者自身の本音が生々しく現われる「トラッドワイフ」(第3章)とQアノン(第8章)への潜入体験だ。「トラッドワイフ」(traditional wifeの短縮形)は男性至上主義を支持する反フェミニスト女性のグループだが、その組織戦略を体得する目的で接近するうちに著者自身の思考が感化され、同化しそうになる瞬間がある。
Qアノンへの潜入を通しては、「Qアノンのアーカイブシステムはたいしたものだと認めざるをえない」と述べ、彼らが「証拠」と呼ぶものをもとに「自らの宇宙をつくる秘密のコミュニティに入るのは、正直、不愉快ながらもスリルに満ちた体験だ」と漏らす。
だからこそ彼女が強調するように、「わたしたちの弱みに過激主義者がどうやってつけ込もうとするのか、その知識を誰もが得ておくこと」の効果は大きいのだ、と頷ける。トラッドワイフのロジックに引っ張られそうになったとき、著者はこう言う。「誰だって弱っているときにはつけ込まれるおそれがあるし、脆弱性とはきわめて移りかわりやすいものでもある。それに対抗できる効果的な鎧とはただひとつ、すなわち情報だ。(中略)結局、わたしがトラッドワイフたちから離れるために役立ったのは、レッドピル・ウィメンのフォーラムに加わる前に、急進化の各段階や兆候をわたしが知っていたからなのだ」と(「レッドピル・ウィメン」とは、米国のネット掲示板「レディット」上にあるコミュニティ)。
さらに心に期すべきだと思ったのは、現在過激主義組織と見なされているグループも、当初から過激だったとは限らない、という点だ。例えば、アラーナというカナダの学生が立ち上げたプラットフォーム「インセル」は、「もともと善意のイニシアティブだった。その発想は、低い自己評価や孤独に悩む人たちに、彼らに必要な自信や慰めを与えることが目的だった。ところが20年も経たないうちに、インセルの運動はまったく違ったもの(あからさまな女性差別・女性嫌悪を示す集団、引用者注)に進化した」。
ネット上のトロール(荒らし)軍団だって、「たんにタブー破りや悪ふざけやジョークが目的」で、最初は「愉快で陽気なものだった」。「フェイスブックが2004年にその一歩を踏み出したのは『人びとをつなげる』ためだった。それは絆を結び、集団に帰属する新たな手法を切りひらいた。ところがそれによって、人びとを分断することにもなってしまった。その構造は、ユーザーの部族的思考を強化するものだ。それは集団をたがいに競わせる、『われわれvs彼ら』という枠組みをつくり出す。うわべだけのつながりを生み、仲間に属していない者を排除し、差別し、非難し、ときに罰しろとまでけしかける」。
実態は、「われわれ」と「彼ら」はきれいに二分できるものではないだろう。「われわれ」が「彼ら」の一部で、「彼ら」が「われわれ」の一部である場所があるはずだ(少なくとも皆無ではないはずだ)。ところがネット空間は性質上、両者の重なり合う部分をいっそう見えにくくするのだ。さらに匿名性が、そうした動きを後押しする。
部族主義の研究者エイミー・チュアによれば、分断を深刻にしている対立は「都会の沿岸部のエリートと地方の労働者階層との対立」だという。ジャーナリストのデヴィッド・グッドハートによれば、「国際人でリベラルな『どこにも属さない者(ノーウェア)』と、地元に根を張った保守派の『どこかに属する者(サムウェア)』との対立」が、それである。
著者のみならず、「解説」執筆者の木澤佐登志氏も強調するように、分断が加速する理由は、陰謀論者など過激で極端なユーザーほど、オンラインアルゴリズムに多大な影響を及ぼすからである 。困ったことに、過激なもの(の拡散)とネット空間は相性がいいのだ。
ニュージーランドのクライストチャーチモスク銃乱射事件(2019年3月)やQアノン信奉者による連邦議会議事堂襲撃事件(2021年1月)などは、オンラインでの交流が過激化・先鋭化した帰結としか思えないオフラインでの事件だと言えよう。
著者によれば、政府や企業によるデジタル空間のコントロールには限界があるし、違法・有害情報の削除方針は「過激主義の問題の根っこを治療するものではな」いという。そして闘いの相手は、「コンテンツとか集団」ではなく、「テクノロジーが明るみに出した、人間の性質における闇の面(ダークサイド)との闘い」であり、必要なのは社会とテクノロジーの「相互作用を理解し、そこに影響を与えること」だと。
わかりやすいストーリーに乗り、理解不能なものを「無い」と見なしたい欲望、つまりダークサイドが自分にもある。本書は、オンラインで加速する分断や不穏な事態の背景を明るみに出すことで、個々の「ダークサイド」に向き合う必要性を説得的に示してくれている。
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