『笑っていいとも!』の代名詞、「テレフォンショッキング」という発明
[2]タモリと観客の共同作業で生まれた「友だちの輪」
太田省一 社会学者
『笑っていいとも!』40年──「密室芸人」タモリが抜擢された理由
「国民のおもちゃ」を演じた『笑っていいとも!』のタモリ
前回、異端の存在だった「密室芸人」タモリが、知的笑いの担い手として『笑っていいとも!』の司会に抜擢された経緯にふれた。今回は、手探り状態で始まった『いいとも!』がどのようにして軌道に乗ったのか、特にここでは、番組の代名詞的コーナー「テレフォンショッキング」を中心にみていきたい。
「いいともー!」が流行した理由

『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のタモリさんと観客との「~いいかな?」「いいともー!」のやりとりは流行語になった=1993年
人気番組には、往々にして番組発の流行語が生まれる。おなじみの「いいともー!」も、そのひとつだ。
『いいとも!』開始から2か月ほど経った頃、タモリとスタッフは、新宿・歌舞伎町でサラリーマン風の男性が、「課長! もう一軒いってもいいかな?」と叫び、それに課長が「いいともー!」と応える場面に出くわす。最初は3か月だけという約束で司会を引き受けたタモリだったが、それ以降そのことは口に出さなくなったという(横澤彪『犬も歩けばプロデューサー──私的なメディア進化論』、112頁)。
この話でもわかるように、「いいともー!」の強みは、誰でも使いやすく、みんなが参加できるところにある。番組のオープニングで、タモリが「それでは今日も最後まで見てくれるかな?」と言ってマイクを客席に向けると、観客が一斉に「いいともー!」と叫ぶ。「コール&レスポンス」の要領で、色々な場面で応用が利く。
その象徴的場面が、1983年の『NHK紅白歌合戦』にあった。その年、タモリは総合司会。NHKのアナウンサー以外の総合司会は、史上初のことだった。
そして番組の冒頭、タモリは、これからいよいよ歌合戦というとき、「そろそろ始めてもいいかなー?」と客席に呼びかけた。観客席からも「いいともー!」の声が。国民的番組『紅白』でのこの“歴史的出来事”は、「いいともー!」がすっかり世の中に浸透したことを物語っていた(ちなみにこれはアドリブで、タモリは、「いいとも」コールをやったら20万円もらう約束を番組プロデューサー・横澤彪としていた。横澤彪『バラしたな!ハイざんげ──テレビおじさんオフレコ日記』、48-52頁)。