2022年03月04日
1922年3月5日に生まれたイタリアの映画監督、ピエル・パオロ・パゾリーニの生誕100年を記念して、代表作の『テオレマ』(1968、4Kスキャン版)と『王女メディア』(1969、2K修復版)が3月4日から全国各地で上映される。この機会にパゾリーニという映画監督の特異性と今見る意味を考えてみたい。
イタリアはアメリカやフランスや日本と並ぶ「映画大国」であった、と書くと今では驚かれるかもしれない。サイレント期からディーヴァ(女神)映画や史劇はハリウッド映画の形成に大きな役割を果たし、トーキーになってからは極上の喜劇を作り出し、戦後はネオレアリズモやマカロニ・ウエスタンやイタリアン・ホラーなどで一世を風靡した。1970年前後の日本では、毎年60本前後のイタリア映画が公開されて本数でフランス映画を上回っていた。
監督としても、ロベルト・ロッセリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ルキノ・ヴィスコンティ、フェデリコ・フェリーニ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ヴィットリオ&パオロ・タヴィアーニ、エルマンノ・オルミ、マルコ・ベロッキオ、ベルナルド・ベルトルッチといった巨匠たちが綺羅星のごとくに並ぶ。しかし、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督は、彼らとは違っていた。
まず、パゾリーニは1961年に初めて監督作品『アッカトーネ』を公開した時、すでに39歳だった。先に挙げたほかの監督たちは、俳優としてのキャリアの長いデ・シーカを除くと20代から30代半ばにデビューしている。パゾリーニは『アッカトーネ』まではイタリアでは詩人、小説家として知られていた。1942年に『カザルサ詩集』を自費出版して以来、初めて映画を撮るまでに10冊以上の詩集と2つの小説を発表している。
もっと重要なのは、映画を撮るにあたって、これまでの映画に学んだり、参考にしたりした様子が感じられないことだ。まず、彼の映画にはいわゆる「映画通」が好みそうな映画らしい場面がない。細かく組み立てられた脚本もなければ、逆に即興演出もないし、ドキュメンタリー的な撮影もない。「華麗なカメラワーク」も、意表を突く編集もない。実は私は1999年にユーロスペース配給で14本の作品を全国で上映した時に公式パンフの編集をしてシンポジウムも企画したが、若き映画狂だった私には彼の映画は本当はどこかピンと来なかった。
ところが今見て見ると、まさにそこがおもしろい。映画というメディアに初めて触れた文学者が子供のように映画の可能性を追求していることを素直に見ることができる。映画的な記憶からではなく、直感的に人間の顔に迫り、そのさまざまな表情の豊かさをきちんと見せる。そして心に直接届くような音楽を組み合わせる。
例えば『テオレマ』を見てまず驚くのは、
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