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それは「沖縄ブーム」だった

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 2000年代初頭、「本土」は確かに沖縄ブームだった。沖縄に行ったという話をあちこちで聞かされた。私の家族も連れだって出かけた。仕事仲間の親が石垣島で不動産物件を探していると聞いたこともある。猫も杓子もというわけではないが、多くの人が沖縄へ沖縄へと煽られていた。

 私自身はその地へ足を踏み入れたことがなかった。ブームの頃は、ちょうど小さな会社を立ち上げたばかりで、それどころではなかったからだ。沖縄は遠い島のままだった。

 マーケティング用語を使うなら、沖縄はリピーターを呼ぶ力を持つ場所である。一度行くとまた訪ねたくなる。それを何度か繰り返すうちに常習化する。常習化するだけでなく、年に4回が毎月になり、さらに隔週末にと頻度が高まる。どんな時でも沖縄のことを考えている。沖縄に関連するものなら、何でも見たい触れたい手に入れたい……。そしてこの気持ちがピークに近づくと、「移住」という究極の選択が脳内を占拠するらしい。一般的にはこうした状態を「沖縄病」と呼び、罹患者を「沖縄フリーク」と言う。

 でも私は、銀座の沖縄料理屋で出会った女性たちが発した「沖縄ジャンキー」という言葉を採用したい。いささか「中毒」のニュアンスが強すぎるが、当該の症状を的確に言い表しているように感じるからだ。ちなみに、アメリカの風狂作家ウィリアム・バロウズは、『ジャンキー──回復不能麻薬常用者の告白』(1969)という斯界の名著で、麻薬常用者について、「だれだって常用者になるつもりでなるわけではない。ある朝、麻薬切れの苦痛に目を覚まし、そこで常用者になるのだ」と書いている。

 いつの間にか潜伏していた「中毒」は、ある時突然症状となって立ち現れ、彼/彼女がすでにジャンキーであることを告げる。銀座で出会った女性たちが語った通り、「中毒」症状の出現によって、人はジャンキーになる。すでに取り返しはつかなくなっている。

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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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