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ミュージカルは歌わずに……翻訳家が語る舞台の裏側【上】

日本語の特性生かして、小田島雄志・翻訳戯曲賞座談会

山口宏子 朝日新聞記者

 外国語で書かれた演劇やミュージカルの上演を「言葉」で支える翻訳家。その仕事の楽しさ、苦しさ、難しさは――。演劇の優れた翻訳家を顕彰する小田島雄志・翻訳戯曲賞(※)の贈呈式で、翻訳家5人が語り合った。出席したのは、フランス戯曲を翻訳した齋藤敦子さん、ミュージカルの翻訳・訳詞で活躍する高橋亜子さん、シェイクスピア全37戯曲を完訳した松岡和子さん(以上受賞者)と、英米戯曲を数多く手掛ける小田島恒志さん、ドイツ演劇が専門の新野守広さん。(以上実行委員)。2022年1月24日、東京・東池袋のあうるすぽっと。
 司会・構成は山口宏子(実行委員)

(左から)司会の山口宏子、新野守弘、小田島恒志、齋藤敦子、高橋亜子、松岡和子=2022年1月24日、東京・東池袋のあうるすぽっと、山本未紗子撮影

ミュージカル訳詞のテクニックは

――齋藤さんは映画の字幕を数多く手掛けてこられましたが、演劇の翻訳で違いを感じたことはありますか。

齋藤敦子 字幕は目で見て、速く読めなければいけないわけですが、お芝居は耳から入るので、まず、聞いて分かる日本語にすることを考えました。読み合わせで、俳優さんが私の訳した言葉をそのまましゃべってくれるのを初めて聞き、すごい! と驚き、感激しました。

――高橋さんはミュージカルがご専門です。訳詞ではメロディーに日本語をのせる苦労があると思いますが、そのテクニックを教えていただけませんか。

高橋亜子 日本語はどの言葉にも母音が付きますよね。その母音をどの音符に乗せたら一番生きるかを見極めることがまず大事です。そして、小さい「っ」や「ちゃ・ちゅ・ちょ」といった音と「ん」をどう使うか。メロディーやリズムの中のどこに、どの子音、どの母音を置くと一番意味を凝縮できて、耳に優しく、響きも良く訳せるか。そのノウハウが、だいぶ分かってきた感じがしています。

――翻訳しながら歌ってみるんですか?

高橋 よく聞かれますが、私は基本的には歌わないです、歌うと客観的に見られなくなるので。英語の曲を流して、頭の中で日本語の詞を重ねていっている感じですかね。

――日本語にすると歌詞が曲に入りきらないという話をよく聞きますが、もとの英語詞の何割くらい伝えられるものですか。

高橋 曲によりますね。ゆったりした曲は音符の数が少ないので、内容をかなり短くすることになりますが、リズミカルに早口で歌うような曲ならば、凝縮させれば、意味を網羅できることもあります。

――意味だけでなく、リズムや韻も大事ですよね。

高橋 そうですね。同じ2文字の言葉でも曲に乗せた時アクセントが逆だったら使えないし、オーケストラの演奏と一緒になったときにどう聞こえるかも計算しないと。齋藤さんもおっしゃっていた通り、まず耳で聞いて分かることを心掛けます。

――松岡さんは、シェイクスピアという「古典」ならではのご苦労はありましたか。

松岡和子 訳している最中は、「古典」は全く意識しません。シェイクスピアの言葉があって、それを自分の中でどう咀嚼して等価な日本語にできるかだけを考えています。

――風格を出すということも……

松岡 ほとんど考えません。ハムレットに「ら抜き言葉」を言わせられないとか、その程度です。これ以上くだけた言葉にはしたくないといった「歩留まり」は本当にケース・バイ・ケースですが、知らぬ間に自分の中で一定の線引きをしているみたいです。

――シェイクスピア劇では、一つの戯曲の中に多彩な人物が登場するので、それぞれを表現するうえでも言葉遣いは大事になってくるのではないでしょうか。

松岡 そこが一番考えるところですね。私のスタンスは、解釈はするけれど、余計な演出はしないということです。例えば、庶民だからイマ風のくだけた言葉を話すとか、男性だから男言葉を、女性だから女言葉を使うとか、そういうことは演出の範囲であって、翻訳者がやってはいけないと私は考えているので、すごく気を付けています。

小田島雄志・翻訳戯曲賞は、シェイクスピア翻訳などで知られる小田島雄志さんが2008年に創設し、10年間個人で主催した。その後、実行委員会が引き継ぎ、毎年、海外戯曲の優れた翻訳家と上演団体を選出している。第14回の受賞者は、齋藤敦子さん(フロリアン・ゼレール作『Le Fils 息子』の翻訳)、高橋亜子さん(アメリカのミュージカル『Glory Days グローリー・デイズ』『ダブル・トラブル』の翻訳・訳詞)、オフィスコットーネ(『墓場なき死者』上演)、風姿花伝プロデュース(『ダウト 〜疑いについての寓話』上演)。シェイクスピア全37戯曲の翻訳を完成した松岡和子さんに特別賞が贈られた。

主語を言うか言わないか、それが問題だ

フロリアン・ゼレール作、齋藤敦子翻訳『Le Fils 息子』(東京芸術劇場企画制作)。思春期の息子と父親を、岡本圭人と岡本健一の実の父子が演じた=藤井光永撮影
ボブ・ウィルトン&ジム・ウォルトン作、高橋亜子翻訳・訳詞のミュージカル『ダブル・トラブル』=岡千里撮影、シーエイティプロデュース提供

小田島恒志 先ほどの訳詞について、一言。ミュージカル『レ・ミゼラブル』でエポニーヌが歌う「オン・マイ・オウン」の「I love him」を故岩谷時子さんは「愛してる」と訳しました。当たり前だと思われるかもしれませんが、「私は」も「彼を」も言わずに伝えられる日本語ってすごいと思います。翻訳では原文の良さが出し切れない、みたいに言われることも多いのですが、これは翻訳された日本語の方がいいという例だと思う。この1行は、自分が翻訳の仕事をする時の励みであり、支えになっています。

――日本語の会話では主語も目的語もあまり言いませんものね。

高橋 私もそこは意識しています。上演では相手役が見えるなど視覚的な情報がある

高橋亜子。『ビリー・エリオット』『ジャージー・ボーイズ』『パレード』など数多くのミュージカルの訳詞を手掛ける。ミュージカル『フィスト・オブ・ノーススター~北斗の拳~』などの脚本・作詞も=山本未紗子撮影
し、音楽が感情を語る部分もあるので、結構省ける言葉は多いですね。

小田島 「私が」「彼を」は、見ていれば分かりますから。

高橋 そうですね。主語は基本的に歌詞では使わないです。

――シェイクスピアの「主語」はどうですか?

松岡 例えば『リチャード二世』は、若きイングランド王リチャード二世と、彼から王位を奪うボリングブルック(後のヘンリー四世)の攻防が話の軸ですが、その中で、ボリングブルックが王になる前から、王が使う一人称「we」を使っている場面があるんです。まだ王ではないのに「余は」って言うわけです。逆に、リチャード二世が王位にありながら「we」ではなく「I」と言っている所もある。二人の対立の中で、それがものすごく微妙に使い分けられているので、神経をとがらせて、間違えないように、シェイクスピアが書いたとおりに訳しました。

松岡和子。28年がかりでシェイクスピア全戯曲の翻訳を完成させた。日本で3人目。全集はちくま文庫刊。菊池寛賞、朝日賞など受賞多数=山本未紗子撮影
 基本的に主語を省くのは、シェイクスピアも同じです。でも『マクベス』では、マクベスとマクベス夫人がこれからダンカンを殺すという場面で、

 マクベス If we should fail?
   夫人 We fail!

というやりとりがある。この「We」は絶対入れなきゃ駄目だって思ったのね。

 「もししくじったら」「しくじるですって?」と訳したら、マクベス一人が失敗するみたいに聞こえるじゃないですか。そこで「もししくじったら、俺たちは?」「しくじる、私たちが?」にしました。こういう風に主語を絶対入れなきゃならない場面というのがあるので、本当に気を付けて読んでいかないとミスをしてしまう。怖いですね。

齋藤 ちょうどコーエン兄弟が『マクベス』を映画化したのを見たばかりなのですが、その場面はすごく印象的でした。字幕がどうだったかは忘れましたが、「We」と言っているので自分ならどう訳すだろうと考えたことを思い出しました。

あなた、をどう呼ぶ?

松岡 フランス語の二人称「vous」と「tu」も微妙ですよね。

齋藤 微妙です。「あなた」と「君」みたいな感じで、恋人同士で本当に親密に愛し

齋藤敦子。フランス映画社を経て、フリーの映画評論家・字幕翻訳者に。フランス現代戯曲『Le Père 父』『Le Fils 息子』の翻訳を手掛けた=山本未紗子撮影
ている時は「Je t'aime」ですが、「Je vous aime」だとまだ遠慮がある関係。ニュアンスの違いがあります。

小田島 僕は戯曲を翻訳していて一番悩むのが「you」なんです。「あなた」「君」「お前」と、普通言わないですよね、日本語は。だから困る。

 例えば「Are you happy?」を「あなたは幸せですか」と訳したら、宗教の勧誘にしか聞こえない。姉妹の会話だとして、妹が姉に向かって「あなた」と言うと、すごく距離のある関係というような別のニュアンスが出てしまう。「you=あなた」にすれば丁寧という訳ではない。うちの妻が僕を「あなた」と呼ぶのは怒っている時だけですし。だから、二人称の訳し方は本当に難しいですよね。そのせりふのやりとりがどういう状況で起こっているかを考えなきゃならないんで。

 先ほどの「vous」「tu」も、英語だとどちらも「you」になるのだろうなと思いながら聞いていました。そこを翻訳する時にちゃんとくみ取って、訳し分けないまでも、稽古の時に、こちらのニュアンスですと現場に伝えて分かってもらうのがすごく大事だと思います。

――ドイツ語ではどうですか。

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